宣教のためのリバイバルと改革

教団伝道局長 花田憲彦

「リバイバルと改革」~なぜ今なのか?

 「シオンで角笛を吹き わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく。」(ヨエル2:1)

 旧約の預言者ヨエルが、敵に侵略されようとしていたイスラエルに向けて語った言葉です。同時にこの警告の言葉は、キリストの再臨を目前にひかえている現代の私たちに対するメッセージでもあります。そして彼は、こう続けます。「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。』あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み くだした災いを悔いられるからだ。・・・シオンで角笛を吹き 断食を布告し、聖会を召集せよ。」(12、13、15節)

 キリストが天の至聖所に移られた1844年以降、地上歴史は最終的な「終わりの時代」に突入しました。全地球的規模での「大いなる贖いの日」が到来したのです。旧約の時代、イスラエルの人々にとってこの日は、大祭司が民のために執り成す、最も聖なる日でした。この日、神の民は、断食をもって悔い改めることが定められていました。そのような備えのない人々は、宿営の外に追い出されたのです。つまり、「悔い改めという備えのない神の民は、永遠の滅びにいたる」という、終わりの時代への大切な霊的な教訓をも指し示していました。

 2010年10月、世界総会は、『神の約束された賜物~リバイバル、改革、献身、宣教についての重要勧告』を発表しました。この中で、私たちアドベンチスト教会の共同体としての罪の告白がなされたのです。「私たちは後の雨における聖霊の注ぎを祈りと御言葉を通して神に求めることを常に最優先してこなかったことを認めます。私たちは個人的生活において、諸会議において、あまりにもしばしば己の力によって働いてきたことを謙虚に告白します。あまりにもしばしば、失われた世界を救おうとする神の働きを第一にしてきませんでした。時には、神を知るというとても大切なことをその仕事の中で無視してきました。あまりにもしばしば、ささいなことで嫉妬し、野望を抱き、個人的関係を壊し、長い間リバイバルや改革を押しやり、天来の力よりも人間の力で働こうとしました。」(『アドベンチストライフ』2011年1月号より) 

 私はこの告白を読んで大変感動しました。聖霊が今、私たちアドベンチストの群れを、キリストの再臨に備えさせるために、そして全世界に向かって警告のつのぶえを吹き鳴らさせるために、導いておられることを感じました。そのための「リバイバルと改革」の時が今なのです。

リバイバルの鍵は「きよめ」

世界総会は、昨年から「宣教のためのリバイバルと改革」をテーマに全世界の教会に向けて働きかけています。これは以下の預言の霊によるメッセージが土台となっています。

「リバイバルと改革が、聖霊の働きのもとに起こらねばなりません。リバイバルと改革は二つの違ったことがらです。リバイバルは霊的生命が新たにされ、精神と心の力が活性化され、霊的死より復活することです。改革は再組織、立て直しを意味し、考えや意見、習慣や行動に起こる変化です。改革は聖霊のリバイバルと結びつかなければ、よい義の実をむすぶことはできません。リバイバルと改革にはそれぞれ与えられた分野があります。そして、その働きをするために二つのものは、溶け合わねばなりません。」(『レビュー・アンド・ヘラルド』1902年2月25日)

 主が願われるのは、神の民の改革です。それはまた、「きよめ」という言葉で表されます。パウロはこのように述べました。「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです」(Ⅰテサ4:3)。なぜならば、レビ記19章2節に「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」とあるように、私たちの愛する主が聖いお方であられるからです。

 ヨシュア記7章13節で主がヨシュアに語られた言葉を、今、畏れをもって受け止めたいと思います。「立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去るまでは敵に立ち向かうことはできない』と言われるからである。」

 イエス・キリストがエルサレムの神殿に来られた時、主の宮から汚れたものが取り去られたように、今、聖霊の宮とされた私たちの内にあるすべての罪が全く滅ぼし尽くされるべき時なのです。

 上記のレビ記19章2節の直後を読んでいけば明らかですが、「きよめ」とは、神への敬虔な態度や私たちの正しさのことだけではなく、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)という言葉によって要約されます。つまり「きよめ」とは、キリストの愛と正義の性質に似た者として変えられていくことなのです。

 「完全な改革が起こる時がきました。この改革が始まる時、祈りの精神が各信者を動かし、教会から不和と不一致と争いは追放されます。」(8T251)

 これがまさに、前の雨を受けた初代教会が経験したことでした。

牧師たちに求められること

 伝道の進展は、伝道の最前線にある各個教会が主の霊によってリバイバルされ、元気になることにかかっています。そのために信徒がそれぞれに与えられた聖霊の賜物を用いて、神と人々に仕えていく信徒中心の教会形成が求められています。

 しかし、その前にどうしてもなされなければならない作業があります。牧師のきよめです。エレン・ホワイトはこのように訴えています。「民の間にリバイバルが必要とされています。しかし、牧師たちの清めの働きが、最初に始められるべきです。」(1T469)

 私自身も牧師として、自分に語りかけるように訴えます。「日本全国の牧師たちよ、目覚めよ! あなたは何のために召されたのか。日本の99%の同胞が滅びようとしている、その魂の叫びを聞いているか! あなたが召されたのは、今、この時のためではなかったのか!」と。

 リバイバルの鍵はきよめにあります。聖霊によって、すべての牧師、信徒のきよめがなされるならば、リバイバルは必ず起こるのです。教団教区教会で行われるすべてのプログラムは、このことが意識してなされるべきです。なぜならば、これこそが神の伝道戦略だからです。

 ラオディキアにある教会に訴えられたメッセージは、現代の教会に与えられているメッセージでもあります。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。」(黙示録3:15)

 夏の暑い日、喉がカラカラに渇いている時に、冷たい飲み物が提供されると、それは私たちをリフレッシュさせ、力を与えるものとなります。逆に冬の凍りつくような寒い時に、熱い飲み物が出されると、それもまた私たちを元気づけます。しかし、冷たい飲み物も熱い飲み物もそのまま外に放っておいたらどうなるでしょうか。周囲の温度と同じようになり、なまぬるくなってしまいます。それは吐き出さざるを得ないようなものでしかないのです。

 では飲み物を冷たく、あるいは熱く保つためには何が必要でしょうか。それはエネルギーです。今回の東日本大震災でガソリン不足が問題になりましたが、油が私たちにとってとても大切なものであることを身をもって体験させられました。

 同じように、聖霊の油がなければ、私たちの信仰は人を生かす、力のあるものとして保たれないのです。聖霊のエネルギーに満たされなければ、私たちの信仰はなまぬるくなくなってしまい、この世と見分けがつかないような存在となってしまうのです。

 ヨシュアはそんな神の民にこのように力強く宣言しました。「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、・・・仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」(ヨシュア24:14、15)

 あなたは今、何に仕えていますか。ラオディキヤ状態への決別の時が来たのです。

今こそ、後の雨を求める時!

777の祈り

 そのために主が今、全世界に与えておられる素晴らしい二つの機会があります。「777の祈り」と「大争闘プロジェクト」です。

 イスラエルでは、雨期に降る雨には二つの代表的なものがあり、それぞれ名前がついています。秋に降る「前の雨」と、春に降る「後の雨」です。前の雨は、種まきの時に必要な雨であり、後の雨は、作物に豊かな実りを与えるための祝福の雨です。 両方の雨がなければ、豊かな収穫を期待することはできません。

 使徒行伝2章のペンテコステの日の聖霊の注ぎは、前の雨でした。教会が世界に向けて宣教を始めようとする、この種まきの時期に聖霊の注ぎがどうしても必要だったのです。そして、前の雨を受けてスタートした世界宣教はやがてクライマックスを迎えます。それが再臨です。再臨のために人々の魂を備えるリバイバルが起こらなければなりません。そのために後の雨が必要なのです。

 では後の雨はどのように注がれるのでしょうか。次の文章に注目していただきたいと思います。「大部分の者たちが、前の雨を受けそこなっている。彼らは神が与えてきたすべての恩恵を受け損なっている。欠乏は後の雨で補われると彼らは期待している。もっとも豊かであふれるばかりの恵みが与えられるとき、彼らはそれを受けることを望んで心を開こうとする。しかしながら、彼らは大きな誤りを犯している。もし、私たちが生きたクリスチャンの徳の模範として日ごとに成長していなければ、後の雨における聖霊の顕現を認めることはできないだろう。聖霊は私たちの周囲の心の中に降るだろうが、私たちは、それを見分けることも受け取ることもできないだろう。」(牧師への証507)

 ここに大切な真理があります。後の雨は前の雨を受けた人に注がれるのです。日々のイエス・キリストとの交わりを通して受ける聖霊の恵みが、個人的な前の雨です。そして、それを日毎に求めることが後の雨を受けるための大切な条件となるのです。「777の祈り」は、これらの約束の聖霊を求めるための祈りです。

 モーセはこのように書きました。「もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。」(申命記11:13、14)

 覚えておくべきことは、祝福には「主に従い、仕えるならば」という条件が伴うということです。救いは信仰によってただで与えられるものですが、神の祝福は、主に従うことによって増し加えられるということを忘れてはなりません。神からの祝福と従うことは、一枚のコインの表と裏のようなものです。

 聖霊に満たされるという「プレルー」(ギリシャ語)という言葉は、「支配される、治められる」という意味です。聖霊に満たされるということは、私たちが自分自身を聖霊に完全に明け渡して、聖霊によって支配されるという意味です。

 聖霊に満たされるということはオプションではありません。確かな主の命令です。そのために、主に私たちの全てを明け渡すことを、主は切に願っておられます。「777の祈り」を通して、日毎に自らを主に献げる明け渡しの時を持ってください。

大争闘プロジェクト」の意義

The Great Hope

 もう一つは、「大争闘プロジェクト」です。今、世界中の多くの人々が、必死になって世界でおこっていること(災害、戦争、飢餓、疫病、環境汚染など)の意味を探し求めています。これらは避けることのできない現実ですが、エレン・ホワイトが1888年に記した『各時代の大争闘』は、私たちに素晴らしい光を与えています。それは同時に、神の贖いの計画を明確に包括的に、良きニュースとしてこの世に提示しています。

 エレン・ホワイトはこのように訴えています。「『各時代の大争闘』は広範囲に配布しなければならない。それには過去、現在、未来のことがらが含まれている。この地上歴史の終わりの光景についての略述で、真理のために力強いあかしが立てられている。私は私が書いた他のどの書物よりもこの書物が広く配布されることを熱望する。なぜならば、『各時代の大争闘』には世界に対する最終の警告使命が、私の書いたどの本よりもはるかに明確に示されているからである。」(書簡第281号、1905年)

 このプロジェクトは、ジャック・ヘンダーソンという一人の元文書伝道者に与えられたビジョンによって始まりました。昨年6月、彼は世界総会の本部に来て、「アメリカの全ての家庭に大争闘を配りたい」と訴えました。彼は一人ですでに160万冊以上の大争闘を配布しました。一人の信徒の大きな信仰とビジョンが、今、世界中にリバイバルの大きなうねりをもたらそうとしています。

 「あなたがたは『各時代の大争闘』をお読みになったであろうか。『各時代の大争闘』にはどんなことが含まれているか知っているだろうか。・・・皆さんがもしまだ読んでいないなら、私は皆さんに、これらの厳粛な警告と訴えとを注意深くお読みになるようにおすすめする。神は、近づいて来る危険について警告しなければならない魂のいるところはどこにでも、この書物が配布されることを望んでおられると私は確信している。」(書簡第1号、1890年)

 このプロジェクトには二つの大きな目的があります。まずは私たちアドベンチストが『大争闘』を通して燃やされ、来るべきリバイバルに備えること。そして次に、その感動を愛する人々に伝えることです。私自身、改めてこの預言の霊によるメッセージを読みながら、信仰が覚醒されていくのを感じています。まさにリバイバルのために与えられた書物です。

神の伝道戦略

 飛行機を見て誰もが不思議に思うことは、なぜあの大きな鉄の塊が空を飛ぶのだろうかということです。その秘密は「エンジン」と「空気」にあります。強力なエンジンが機体を前進させれば、翼の上に真空状態が生まれ、機体は空気につかまれるような格好で浮かび上がるのです。聖霊は風(空気)にたとえられていますが、祈りと御言葉は私たちにとっての強力なエンジンです。この霊的なエンジンによって前進する力をいただくならば、風である聖霊が私たちを持ち上げてくださるのです。

 リバイバルは聖霊の働きであり、人間的な計画によって成し遂げられるものではありません。私たちがなすべきことは、祈りと御言葉をもって主に仕え、聖霊の働かれる器として整えられること、つまり、聖霊の働かれる場所に身をおくことなのです。

 「私たちのあいだに、本当の敬神の復興を起こすことが、私たちの必要のすべて、最大かつ最緊急事です。これを求めることが、我らの第一の働きであるべきです。」(1SM121)
黙示録14章の三天使の使命を伝える役割が与えられているのが残りの教会です。ですから、リバイバルこそが、私たちがなすべき最初の働きであるべきです。

 教団の伝道方針や戦略についてよく尋ねられることがあります。実際、この5年間に行おうとしている伝道計画はたくさんあります。しかし、本物のリバイバルが起こるとき、これらの計画は吹き飛んでしまうほど、力強い聖霊の働きと導きを経験することになるでしょう。ある意味、今、私たちがリバイバルに必要な聖霊の器を整えることに全てのエネルギーを注ぐならば、あとは神の伝道戦略に委ねて、導かれていけばそれでいいのかも知れません。

 私は以下の証の書にある預言を信じます。
「地上に神の最後のさばきが下るに先だって、主の民の間に、使徒時代以来かつて見られなかったような初代の敬虔のリバイバルが起きる。神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる。」(各時代の大争闘下190)

「主よ、来てください!」

 今年の5月と6月に東日本教区内の5つの地区で行われたリバイバル集会は、後の雨を予感させるような聖霊の働きを感じました。私は同じメッセージを5回語ることになったのですが、そこで自分自身の内側に起こった不思議な変化を経験しました。

 キリストの言葉を瞑想し、そしてそれを繰り返し語るうちに、「ああ、主にお会いしたい」という情熱が今まで以上に沸いてきたのです。その時、なぜ主が聖書を通して繰り返し備えることの大切さを訴えておられるのかが、わかったような気がしました。そして、主はこの時代、つまり自分たちのこの世代に必ず来られるという確信が与えられたのです。それは今、社会で起こっている出来事がどうだからとか、それが再臨の前兆だからというのではありません。純粋に単純に御言葉を通して主に向き合った時に、私の中に起こってきた変化でした。

 主は間もなく来られます。あなたは主にお会いしたいですか。そうであるならば、今日、心から主に仕えることを選びましょう。

 「われわれの主、イエス・キリストの来臨を待ち望むだけでなく、これを早めることが、すべてのクリスチャンの特権である。彼のみ名を公言するすべての者が、キリストの栄光となる実を結ぶならば、どんなに早く全世界に、福音の種がまかれるだろう。すみやかに、最後の収穫物は実り、キリストは、大切な穀物を集めるために来られるであろう。兄弟姉妹たちよ、聖霊を願い求めなさい。・・・彼は信者たちを清め、高めて、尊くしたいと望んでおられるのである。彼を信じる人々の感化は、世の中で、命から命に至らせる香りとなる。・・・彼は、われわれが果たすために大きな仕事を、お与えになった。われわれは、それを忠実に果たそう。神の恵みが人類のために、どんなことをなし得るかを、われわれの生涯で示そう。」(8T22~23)

(『アドベンチストライフ』2011年9月号特集記事より)