我々の最も差し迫った必要

ノーマン・R・ガレイ

あなたがそこにおられたら、どんなによかったことでしょう。何百人ものアドベンチストが鉄道の駅に群がって、ジョージヤ・ドームに行く地下鉄を待っていました。彼らは「We Have This Hope(キリストは来たりたもう)」を歌っていましたが、一方周りの人たちは一体これは何のお祝いなのだろうかと不思議そうでした。それは2010年7月の世界総会における最後の安息日のことでした。セブンスデー・アドベンチストであることは、なんという喜びでしょう! 我々は、なんという祝福された希望を持っていることでしょう!

キリスト来臨のしるし

キリストは彼の再臨についてお語りになりました。あなたはキリストのしるしに関する説教をご存知ですね(マタイ24、25章)。あなたは「あなたがおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆 (単数)がありますか。」という弟子たちの質問に注目したことがありますか(マタイ24:3)。キリストは「人に惑わされないように気をつけなさい」(4節)とお答えになり、続けて幾つかのしるしをお語りになりました。キリストは弟子たちの質問を無視しておられたのでしょうか。それともしるしは重要ですが、それよりももっと心にかかることがおありだったのでしょうか。最後にキリストは、彼が雲に乗って来られることを「しるし」として指し示されました (30節)。
キリストは、人を惑わす偽キリストや偽預言者についてお語りになりました(5,11,24節)。しかし彼の最大の関心は、ずば抜けた才能を持つ偽キリスト(サタン)でした。「人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。」(26節)、なぜなら「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(27節;1テサロニケ4:16-18参照)。「私を装うサタンに欺かれてはならない」がキリストの警告でした(2コリント11:14参照)。「聖書を熱心に研究し、真理の愛を受けた者だけが、世界をとりこにする強力な惑わしから守られる。」1

キリストの再臨

キリストの再臨は、教会の祝福された望み、福音の壮大なクライマックスです。救い主の来臨は文字通りであり、人の姿をとった、目に見える、全世界的なものです。その時死んだ義人はよみがえり、生きている義人と共に栄化され、天に連れてゆかれます。しかし不義な者は死にます。ほとんどの預言がほぼ完全に成就していることは、世界の現状と合わせて、キリストの再臨が差し迫っていることを示しています。再臨の時は啓示されていません、ですから私たちは何時も準備しているようにと忠告されています。(テトス2:13;ヘブライ9:28;ヨハネ14:1-3;使徒1:9-11;マタイ2
4:14;黙示録1:7;マタイ24:43,44;1テサ4:13-18;1コリ15:51-54;2テサ1:7-10;2:8;黙示録14:14-20;19:11-21;マタイ24;マルコ13;ルカ21;2テモ3:1-5;1テサ5:1-6)。

貧しい教会

キリストは、終わりの時には多くの人の愛が冷えると言われました(マタイ24:12)。それは教会を取り巻く状態です。教会はどうでしょうか。じつは教会はすべてを必要としているときに、何の必要も感じていない、とキリストは言われました —何故ならキリストが外に締め出されているからです(黙 示3:14-22)。キリストは、教会のなかには「信心深い様子をしながらその実を捨てる者 ……」(2テモ3:5)、神よりも快楽を愛する者がいることをご存知でした。次にキリストは10人のおとめの譬えをお語りになりました(マタイ25:1-13)。10人は全員眠り込んでしまいました。愚かなおとめたちは、油を十分持っていないこと以外は、賢いおとめと変わりませんでした(1-5,8節)。キリストはかつて「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう」と言われました(マタイ5:6)。キリストは、彼の教会がもっと多くの油を持つことができるときに、少しの油で満足しないで、満たされることを望んでおられます。キリストは、眠っているおとめたちはリバイバルと改革が必要であることをご存知でした。
キリストは言われました。ノアの時代の人々は洪水が来て箱舟の外に取り残されたとき慌てふためきました。キリストの再臨もそれと同様に驚きになるでしょう(マタイ24:38,39)。それは「思いがけない時に」(44節)、泥棒に入られるのと同じであると。「一寸待って下さい、私たちはキリストの再臨は、世界的な日曜休業令、国際的死の法令、そして七つの最後の災いの後だと思っているのではありませんか。どうして思いがけない時などということがあるでしょうか」と言う人がいます。「重要な質問」です。その答は「それはしるしではなく、油に関することである」です。10人のおとめはこれらの終末のしるしについて知っていました、しかしそのうちの5人は十分な油を持っていませんでした。彼らは油を買いにゆき、確かに幾らか手にいれ、中に入ろうとしました、しかしキリストは「わたしはあなたがたを知らない」と言われました(マタイ25:12)。彼らはきっと偽物の油を持っていたのでしょう(マタイ7:21-23)。

もう一つの再臨

あなたは二つの再臨のあることをご存知でしたか。キリストの再臨と聖霊の再臨です。聖霊の初臨、すなわち前の雨はペンテコステにおいてでした(使徒2:1-39)、そして二度目の降臨、即ち後の雨は終わりの時にあります(ヨエル2:28-31)。キリストの初臨を考えてください。ユダヤ民族はキリストを迎える備えをしていましたか。いいえ。キリストの来臨は彼らの期待通りでしたか。いいえ。彼らは憎むべきローマ人を征服し、彼らの国に自由をもたらすメシアを期待していました。ユダヤ民族は、キリストが彼の死を通して人類を救うために静かにお出でになったのを見落としました。今日もまったく同様に私たちの教会は、私たちを敵国から解放する征服の王の王を待ち望んでいます(黙示録19:14-21;13:1-8,11-17)。しかしある者は、(彼らに印することを通して)彼らを救うために後の雨が静かに降るのを見落としています。
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」という世界的な神の命令が発せられています(黙示録7:1-4を読む)。印を押すとは、「彼らが動かされることのないように、知的[真理を知る]また霊的[真理を愛する]、その両面において真理をしっかりと植えつけることです」。2 後の雨は、何が来ようとも私たちがキリストに真実であり続けるために、私たちに印を押します。これは、最終時代におけるいかなる事柄も私たちを欺くことがないという神の確実な保証です。結論はこうです。もし私たちが後の雨の再臨に備えができていなければ、私たちはキリストの再臨にも備えができていません。言い換えると、もし私たちが聖霊の再臨に備えができているなら、私たちはキリスト再臨にも備えができているのです。これは保証されています。

豊かに後の雨が降る

後の雨が降ろうとしていることを私たちに警告するしるしはありません。後の雨が彼らを備えさせるの を待っているのでは、遅すぎます。3 後の雨は私たちを備えるために降るのではありません。それは前の雨の働きです。後の雨は私たちに印を押すために降るのです。私たちは今備えなければなりません —キリストのお出でになる前に! キリストの来臨はその次の出来事です。キリストは、ある者たちは信仰を放棄し、悪霊に気をとられるのを(1テモテ4:1参照 偽の油を手に入れる)、またある者たちは、彼が、彼らの期待どおりには来られないので、後の雨に抵抗するのをご存知です(キリストの初臨においてキリストが抵抗され十字架に架けられたと同様です)。4 終わりの時代の出来事を安全に通過することを保証する力そのものに抵抗するとは、なんという悲劇でしょう。これよりも愚かなことはありません! 後の雨が降る備えをしていないのは、夜に盗人に入られる経験をするのと同じです。
今は最終の出来事の決定的な時です。私は神に聖霊のより深い満たしを祈っています。それは備えるためであり、また印せられるため、私自身を毎日全くキリストにささげるため、キリストに完全に依り頼むためです。私は後の雨、すなわち聖なる油、印する霊の満たしを受けることを切望しています。これは私の差し迫った必要であり、また私たちの差し迫った必要です。今神を求め、もう一つの再臨(後の雨:訳者付加)のために備えましょう。そのとき私たちはキリスト再臨に備えることになるのです。

  1. エレン・G・ホワイト『各時代の大争闘』新書版722ページ、『希望の光』1903-1904ページ
  2. Ellen G. White, Manuscript 173, 1902 in The Seventh-day Adventist Bible Commentary, Ellen G. White Comments, vol. p. 1161.
  3. エレン・G・ホワイト『初代文集』145-150ページ
  4. Ellen G. White, Last Day Events, pp.209, 210.



ノーマン・R・ガレイ:米国テネシー州にあるサザン・アドベンチスト大学組織神学、研究(所)教授。『Christ Is Coming!』(1998)を含む多数の著書がある。