春の雨の準備

残りの民に対するキリストのメッセージ

ラオデキヤ教会の大きな必要

キリストとサタンとの間の大争闘は、その終結に近づいています。サタンは人類歴史のドラマの最後の場面のために、彼の軍勢を動員しています。
黙示録12:12に次のように記されています。
「しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである。」
ペテロ第1・5:8「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」
主の使者は、残りの教会の民に対して、同様の警告を発しています。
教会へのあかし 第8巻298ページ「危険な時代がわれわれの前にある。真理の知識を持っているものはみな、目をさまし、体も心も魂も神の訓練に従わせなければならない。敵がわれわれのあとをつけている。われわれは、しっかり目をさまし、敵に対する防備を固めなければならない。われわれは、神のすべての武具を着なければならない。われわれは、預言の霊によって与えられた指示に従わなければならない。われわれはこの時代のために与えられた真理を愛してそれに従わなければならない。われわれが強力な欺瞞を受け入れることがないようにしてくれるのは、これである。……神は、教会へのあかしによって、われわれに語り、また他の書籍によって、われわれの義務とわれわれのとるべき態度とを明らかにされた。規則に規則、教訓に教訓というふうにして与えられた警告に、われわれは従わなければならない。もしわれわれがそれらを無視するならば、何と言って申しわけをすることができようか。」
教会へのあかし 第5巻67ページ「わたしは、主がわたしに示された事を、あなたに示している……これは神が幻の中でわたしに示されたもので、御座から輝く尊い光である。」
重大な危機がわれわれを待っている
世界歴史のこの暗黒な時にあって、神のみ座から輝くすべての光がどうしても必要です。教会へのあかし第5巻711ページに、「重大な危機が神の民を待っている」と書いてあります。
各時代の希望 第3巻105ページ「危機は徐々にわれわれに忍びよっている。……サタンは自分の時が短いことを知っている。サタンは人々が欺かれ、惑わされ、心を占領され、夢中になって、ついには恩恵の日が終わり、恵みの戸が永遠に閉ざされるように、すべての手下を働かせてきた。」
教会へのあかし 第8巻315ページ「猛烈なあらしが容赦なくやって来る。われわれは、それに当面する用意があるだろうか。」
教会へのあかし 第9巻17ページ「恐るべき試練と苦難が神の民を待っている。」
教会へのあかし 第8巻37ページ「すべての説教は、やがて世界に下ろうとしている、恐ろしい審判ということを意識してなさるべきである。……どうか神が人々を目ざめさせて、永遠の世界の門口に立っている男女として生活し、活動するように助けてくださることを祈る。」
ホワイト夫人は、半世紀以上も前(1909年)に次のように書かれました。
教会へのあかし 第9巻29ページ「もし、キリストのすべての兵卒が、各自の義務を果たしていたならば、世界はもっと以前に警告の言葉を聞いたことであろう。しかし働きは幾年もおくれている。」
教会へのあかし 第6巻450ページ「神の民が世界にあわれみの使命を宣べ伝えて、神のみこころを行っていたならば、キリストはもっと前にこの世界に来られて、聖徒たちは神の都に迎え入れられていたことであろう。」(1900年)
「それでは、まだ、日曜休業令が発布されていないではありませんか」と言う人があるなら、次の言葉を注意していただきたいと思います。
各時代の大争闘 上巻42ページ「初代教会の信仰と力が復興するならば、迫害の精神もまた復興し、迫害の火は再び点じられるのである。」
イエスの再臨がこのように遅れているのですから、この際、このように遅れた真の原因が何であるかを祈りと共に真剣に考え、主の再臨を早める準備をすべきではないでしょうか。
教会へのあかし 第9巻46ページ「もし人間が聖霊や天使たちと協力するならば、数多くの魂が真理に導かれる。しかし主を信じると公言している人々は、彼らに与えられた仕事場で、眠っていた。」
彼を知るために330ページ「聖霊は働きをするのに用いることができる通路を待っておられる……神の霊はそれを受ける用意が、器にでき次第教会に注がれるのである。」
初代文集 119、120ページ「残りの民には地上に起ころうとしていることに対する用意ができていないのをわたしは見た。われわれは最後の使命を持っていると信じると公言する人々の多くは、睡魔に襲われたような愚かな状態に陥っている。……残りの民のために大いなる仕事がなされなければならない。……『悪天使の群れがあなたがたを取り巻いている……あなたがたは軽々と準備の仕事から他の事へ心をそらせてしまう』と天使が言った。……『安息日遵守者は自己に死ななければならない』と天使が言った。」
しかし「恩恵期間の終わりに関係のある出来事と悩みの時のために備える働きとが、はっきり示されている」ので、弁解の余地がありません。(各時代の大争闘下巻359ページ)、教会へのあかし第1巻466ページ「現代の真理を信じると公言する者の大部分は、この時代のための準備の働きを理解する用意がない。」
忠実な商人(黙示録1:5)であられるキリストは、ラオデキヤの教会に次の言葉を送られました。それを心に留めているなら、春の雨のための用意をすることができます。

ラオデキヤ教会への使命

黙示録3:14〜21「ラオデキヤにある教会のみ使に、こう書きおくりなさい。『アアメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である』。」
ラオデキヤへの手紙は、地上歴史の最後の時代における残りの教会の真の霊的状態の描写であり、恩恵期間終了に先立って、残りの民に与えられるキリストの最後の訴えです。
ラオデキヤがなまぬるく、みじめである理由は、自我が心を支配し、キリストが外側におられるからです。
ラオデキヤへの手紙は「驚くべき譴責」(教会へのあかし第3巻252ページ)ですが、それは愛の手紙でもあれば、愛のメッセージでもあります。それは大いなる愛の神からの愛の訴えです。もし、まことの証人の勧告を受け入れて、心の扉を開き、キリストが彼の代表者である聖霊によってお入りになるなら、すべての罪に打ち勝つ神の力を与えられ、キリストと共に彼の位に座するという大いなる特権にあずかることができます。
各時代の希望第2巻136ページ「キリストがわれわれのうちに住まれるのは、みたまを通してであり、神のみたまが信仰によって心に受け入れられるときに、それは永遠のいのちの始まりである。」
わたしたちの永遠の運命がかかっているこの最も重要な問題について神の使者が書いた、次の引用文を祈りと共に研究しましょう。
レビュー・アンド・ヘラルド1894年8月28日「まことの証人の勧告は、なまぬるい人々が絶望状態であるとは言っていない。彼らの状態を改善する機会はまだある。そしてラオデキヤへの手紙は奨励に満ちている。」
教会へのあかし 第6巻77ページ「最後の教会に対する警告は、キリスト者と称するすべての者にも伝えるべきものである。ラオデキヤへのメッセージは、鋭い両刃の剣のように、すべての教会に伝えなければならない。……われわれは全力を尽くして諸教会に警告しているであろうか。」
教会へのあかし 第3巻259ページ「このような人々は、まことの証人のラオデキヤへのメッセージを、どのようにするつもりであろうか。ここに欺瞞はあり得ない。このメッセージは、神の僕たちによってなまぬるい教会に伝えられなければならない。それは神の前における神の民の実際の状態に関する彼らの安心感と、誤った欺瞞から、彼らを目ざめさせなければならない。このあかしが受け入れられる時に、行動が開始される。そして自己卑下と罪の告白が行われる。」
ミニストリー・オブ・ヒーリング 437ページ「人間にとって最大の危険は自己欺瞞におちいることである。」
教会へのあかし 第4巻87ページ「ラオデキヤの人々の唯1の希望は、神の前における自分たちの立場をはっきりと認めて、自分たちの病いの性質を知ることである。彼らは冷たくも熱くもない。彼らは中立の立場をとっている。それでいながら彼らは何も欠けた所がないといっている。」
教会へのあかし 第1巻263ページ「わたしは神の残りの民を目ざめさせるために、何を言えば良いだろうか。われわれの前途に恐ろしい事件が起こるのを、わたしは示された。サタンとその天使たちは勢力を結集して、神の民に圧迫を加えようとしている。サタンはもしも彼らがもう少し眠っていれば、彼らを確保することができることを知っている。彼らの滅びは確実である。」
残りの民が地上歴史のこの最後の時において、大いなる力をもって第3天使の使命を伝える用意ができていないのは、なぜでしょうか。次の引用文が敵の策略を示しています。

サタンの欺瞞

各時代の大争闘 下巻400ページ「サタンは、できることなら、彼らがその日に立つ備えをするのを妨げようとする。サタンは彼らの道をふさぎ、この世の宝で彼らを迷わせ、重くて疲れさせる荷を負わせて、その心をこの世の煩いでいっぱいに満たし、試みの日が盗人のように彼らを襲うようにと、事を運ぶであろう。」
教会へのあかし 第9巻43ページ「人々に、永遠の事を考えさせないように、サタンの力が働いている。敵は自分に都合が良いように事態を準備している。世俗の事業、スポーツ、現代の流行などで、男や女の心が一杯になっている。」
教会へのあかし 第8巻316ページ「われわれは、心の注意をひき寄せようとする無数の問題に背を向けなければならない。多くの時間がかかり、調査を要する事でありながら、結局なんの役にもたたないものがある。われわれは最も重大な事に、十分の注意と努力を払わなければならない。所がそれはしばしば比較的重要でないことに費やされている。……われわれは霊的生命を養い、刺激する食物を魂に与える事を、われわれの義務と考えなければならない。」
教会へのあかし 第1巻341ページ「人間は生まれながらサタンの示唆に従う傾向がある。そして人間は、大勝利者であられるキリストが彼の内に住み、彼の欲望を導き、彼に力を与えるのでなければ、恐ろしい敵に抵抗して勝利することはできない。……サタンは彼の欺瞞の用意をしている。そして神の民に対する彼の最後の努力において、それがサタンである事を彼らにわからせないようにしている(コリント第2・11:14)。」
各時代の大争闘 下巻247ページ「この油断のない敵は、彼らのあとを絶えずつけねらっている。」
教会へのあかし 第1巻302ページ「悪天使はいつもわれわれのあとをつけている。」
教会へのあかし 第8巻294ページ「わたしはすべての人々に警戒していなさいと言う。なぜならば、サタンは光の天使のように、キリスト者のすべての集会、そしてすべての教会の中を歩いていて、教会員を彼の側に引き入れようとしているからである。」の人々に警戒していなさいと言う。なぜならば、サタンは光の天使のように、キリスト者のすべての集会、そしてすべての教会の中を歩いていて、教会員を彼の側に引き入れようとしているからである。」
われわれの義なるキリスト149ページ「神の民がすべての妨害となるものを取り除いて道を開き、主が聖霊を注ぐことがおできになることほどサタンが恐れることはない。」
教会へのあかし 第5巻397ページ「われわれは、人間の心の利己心と腐敗との戦いを絶えず続けていかなければならない。……一時間、あるいは一瞬間でも神を忘れる者は、危険な道にある。」
教会へのあかし 第5巻394ページ「キリスト者が警戒を怠れば、いつでもこの強力な敵は、不意に激しく攻めて来る。」
天使たちの3分の1が欺かれました。エバも、彼女の長子カインも、欺かれました。洪水のとき8人のほかは皆、欺かれました。キリストの時代の宗教的指導者たちの多くは、神のみ子が彼の最大の奇跡を行われるのを目撃しながらも、なお欺かれました。
サタンの力が大いに強化される最後の時代において(霊の賜物第2巻277ページ)、彼は出来ることならば、選民をも欺こうとします(マタイ24:24)。「サタンの誘惑の力が増大するために、われわれの住んでいる時代は、神の子供たちにとって危険に満ちている」(教師への勧告322ページ)。
教会へのあかし 第5巻102、103ページ「われわれの地位がどんなに高くても、絶えず目をさまして祈る必要がある。われわれは毎日、神の聖霊に支配されていなければならない。さもないとわれわれはサタンに支配されるのである……神に全く献身していない人々は、キリストの奉仕をしているとうぬばれていながら、サタンの働きをするようになることがある。」牧師へのあかし79ページ「サタンは神の聖霊の支配下に断乎として立たないすべての者の心を支配する。」
各時代の希望 第3巻105ページ「避けるべき地獄と獲得すべき天国とがあることを全心全霊から信じている人は少ない。」
テサロニケ人への第1の手紙5:17「絶えず祈りなさい。」
キリストの苦難 8ページ「信仰の祈りを絶えず熱心にささげているならば、サタンのどんな激しい攻撃にも抵抗することができ、光と力が与えられる。」
教会へのあかし 第9巻44ページ「今、われわれには、熱烈な真剣さがなければならない。」

神の民の覚醒

ラオデキヤへのメッセージに関する次の注解をよく考えてみましょう。
教会へのあかし 第5巻233ページ「あなたはまことの証人の勧告を聞いて、火で精錬された金と、白い友と目薬を求めるであろうか。金は信仰と愛である。白い衣はキリストの義である。目薬は霊的識別力であって、それによってわれわれは、サタンの策略を見分けてそれを避け、罪を看破してそれを憎み、真理を認めてそれに服従することができるようになる。」
しかし多くの人々は、天からの油を注がれなければならないという事実を、よく理解していません。……『思慮の浅い女たち』というのは神の聖霊が心に真の働きをしていない者の品性を表わしています。キリストの再臨は、思慮の浅い女たちを、思慮深い女たちにはしません。……「思慮の浅い女たちによって代表された教会の状態は、またラオデキヤ教会の状態ともいわれている」(レビュー・アンド・ヘラルド1890年8月19日)。
教会へのあかし 第4巻87ページ「ラオデキヤへのメッセージは、現代の真理を信じると言っている神の民にあてはまる。その大部分は名目だけで熱心さがない、なまぬるい信者たちである。……彼らは自己に死ぬことを好まない。」
教会へのあかし 第1巻186ページ「ラオデキヤへのあかしは、現代の神の民にあてはまることをわたしは示された。……それは神の民に覚醒を促し、彼らの背信を指摘し、熱心な悔い改めに至らせて、彼らがイエスの恵みにあずかり、第3天使の大いなる叫びをするのにふさわしいものとされるために、計画されたものであった。」
以上の引用文によって明らかなように、神の民はラオデキャへのメッセージに聞き従うことによって、春の雨の時に第3天使の使命を大いなる力をもって宣布する準備が与えられるのです。霊的貧しさを自覚しないで、まことの証人であられるキリストの勧告に従わないラオデキヤの人々は、ふるわれます。
初代文集 270ページ「わたしは、わたしが見たふるいの意味をたずねた。するとそれは、ラオデキヤのまことの証人であられるキリストの勧告による率直なあかしがひき起こしたものであることを示された。これは、それを受ける人々の心に感動を与え、彼に標準を高く揚げて率直な真理を宣布させるのである。ある者はこの率直なあかしに耐えられない。彼らはそれに反抗して立ち上がる。これが神の民の間にふるいが起こる理由である。
わたしはまことの証人のあかしが、その半分も注意されないのを見た。教会の運命がかかっている厳粛な使命は、全く無視されないまでも、軽視されていた。このあかしは、深刻な悔い改めを起こさせなければならない。それを真に受け入れるものは、それに従って清められる。」

メッセージに聞き従う人々

もし、残りの民への最後のメッセージに聞き従うならば、わたしたちはふるわれません。全国的に日曜休業令が施行される時に、わたしたちは、大いなる試練に耐えて、春の雨を経験し、大いなる叫びがあげられる間、大きな力をもってメッセージの宣布に参加するのです。忠実な残りの民は、まことの証人であられるキリストの勧告に従います。彼らは自我を十字架につけ、聖霊によって変えられ、春の雨を受けるのに、また生きながら天に携え上げられるのにふさわしい者とされます。
教会へのあかし 第7巻14ページ「神の指導を受けるために、神の支配に従う人々は、神が起こるようにお定めになった事件のはっきりとした動きを悟る事ができる。彼らはこの世の生命のためにその命をお与えになった方の霊を受けたのであるから、もはや自分たちの力の及ばないことを指し示して無力のまま立ったりしてはいない。彼らは天の武具を身にまとって戦いに出て行き、全能の神がこれらの必要を満たしてくださることを信じて、神のために進んで働くのである。」
教会へのあかし 第9巻107ページ「もしわれわれが神に働きをする器を提供するならば、神は働きをなさるのである。」
教会へのあかし 第7巻16、17ページ「われわれには、来たるべき運命について、世界に警告を発するという重大な責任が負わせられている。遠い所や近い所など、あらゆる方面から助けを求める叫びが上がっている。神は教会が立ち上がってカを着るように呼びかけておられる。永遠の冠を得なければならない。天国に入らなければならない。無知の中に滅びつつある世界に光を照らさなければならない。
第3天使の使命が大いなる叫びになる時、その宣言に大きな力と栄光が伴う。神の民の顔は天の光で輝く。」
これは何という輝かしい機会でしょう。わたしたちは、ラオデキヤへの愛のメッセージに聞き従って、毎日自我に死に、生活を完全に聖霊の支配にゆだねて、すみやかに春の雨に対する準備を行ない、大いなる叫びの時に人を動かさずにはおかぬ力で、使命の宣布にあなたの分を尽くすのです。

秋の雨が今必要

預言者と王 148ページ「全宇宙は、言葉では表現できない関心をもって、善悪の大争闘の最後の場面を見守っている。神の民は永遠の世界の境界に近づいている。」
この教会の働きは、預言の成就として定められた時に起こりました。そしてそれは成し遂げられます。神はわたしたちと共に働きを完成されます(ローマ9:28)。もしわたしたちが成し遂げなければ、神は他の人々を用いて完成されます。
聖霊は奉仕のために与えられるもので、わたしたち自身が選んだ仕事のためではなくて、神がわたしたちにお命じになる働きをするためです。「われわれが聖霊を用いることはできない。みたまがわれわれを用いてくださるのである。みたまを通して神は民のうちに働き『その願いを起させ、かつ実現に至らせ』てくださるのである」(各時代の希望第3巻158ページ)。

聖霊の改変力

もし、聖霊にわたしたちの生活を導いてほしくなければ、わたしたちは、霊の力ではなくて、肉の力によって行動しているのです。その結果はどうなるでしょうか。それについて神は次のように答えておられます。
教会へのあかし 第5巻158ページ「聖霊と神の力がなければ、真理を伝えるためにわれわれが働くのはむだである。」
イエスが昇天される直前に言われた最後の言葉を、いつも覚えていなければなりません。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1:8)。
セレクテッド・メッセージズ 第1巻156ページ「偉大な教師であられるキリストは、選ぶことができる主題が無数にあったにもかかわらず、彼が最も多く語られたのは聖霊のたまものについてであった。このたまものが与えられることによって教会にはどんな大きなことが起こると、主は予告されたことであろうか。それなのに、今、これ程顧みられていない主題があろうか。」
各時代の希望 第1巻383、384ページ「人は、自分のうちに神のみかたちを回復し、神の働きをなすことができるようになるためには、自分以外のそして自分以上の力が必要である。だからといって、人間の力が不要だということにはならない。人性は神の力をとらえ、信仰によって、キリストが心のうちにお住みになる。こうして神との協力によって、人の力は善をなすのに効果的となる。
ガリラヤの漁師をお召しになったイエスは、いまもなお人々をご自分の奉仕に召しておられる。しかもイエスは、最初の弟子たちを通して力をあらわされたのと同じに、われわれを通してよろこんで力をあらわされる。」
セレクテッド・メッセージズ 第1巻374ページ「聖霊が心に働くことによってのみ、われわれは天国にふさわしいものとされることができる。なぜなら、もしわれわれが天の父に近づこうとするならば、その資格としてキリストの義を持たなければならない。われわれがキリストの義を持つためには、毎日聖霊の感化によって変えられ、神の性質にあずかる者とならなければならない。嗜好を高め、心を清め、人間全体を高貴にするのは聖霊の働きである。」
サタンは、にせものを提供して、聖霊の降下を妨げようとしています。(各時代の大争闘下巻190、191ページ参照)。
長年にわたって、わたしたちは、にせものの証拠を見て来ました。時はもう遅いのですから、本物の証拠が十分にあるのではないでしょうか。今日、世界が何よりも必要としているのは、最後の警告のメッセージを伝えると公言する人々の生活に、聖霊の改変力の現われを見ることです。
長年多くの人々が、この必要を感じて来ました。これは、1952年に、ボブ・ジョーンズ大学の神学生の大きなグループに対して、ウイリアム・ワード・アイヤーが伝道について行なった講演からの引用です。(祭壇のための炎と題する本に掲載)
「われわれは預言者を必要としている。われわれはエリヤを必要としている。……であるからわれわれはまず第1に『エリヤの主なる神はどこにおられるのか』とたずねる。……この厳粛な悲劇的歴史の危機において、……教会は消極的でベテスダの池の中風の人のように待っている。……
だから教会の必要は、エリヤの霊と力である。彼らは霊と力に満たされるまでエリヤの主なるに服従しなければならない。……
教会の大部分は、われわれの町の人々を、神の真理に正しく導くことに、みじめにも失敗したと言っても決して誇張ではない。人々が深い眠りからさめて、失われた人々を救い始めるまで、牧師たちは『あなたがたはわたしの証人である』という命令を大声で叫ばなければならない。」
1942年11月1日付の個人的手紙の中である世界総会副総理(すでに死去)は次のように書きました。
「ワグナー兄第、今、働きの完成を妨げている唯1のものは、各地におけるわが教会の教会員が、心からの深い献身をしていないことと、彼らの心の中で恵みの働きがまだ十分に行なわれていないことであると信じます。もしわれわれの働き人と教会員とがしっかりしていたならば、春の雨は豊かに注がれ、メッセージは野の火のように広がったことでしょう。」
この最後の時代において、春の雨の力に欠けていることを、けんそんに認めなければなりません。ラオデキヤへのキリストの勧告に忠実に従って、すみやかに「慰めの時」の経験にあずかる準備をし、この使命が「大いなる叫び」によって力強く宣布される時に、それに参加する用意をしなければなりません。
預言の霊からの次の引用文は、春の雨がこのように遅れている理由と、この使命を大いなる力をもって宣伝するためにわたしたちのなすべきことを示しています。
教会へのあかし 第1巻261ページ「わたしは神の民が何かの変化が起こるのを待ら、ある種の強制的な力が彼らを支配するのを待っているのを見た。しかし彼らは失望する。それは彼らがまちがっているからである。彼らは行動を起こし、自分で仕事にとりかかり、自分自身の実際の状態を知るように、熱心に神に叫び求めなければならない。われわれの前に起こっている光景は、非常に重大である。だからわれわれは目ざめて、耳を傾けるすべての者に真理をよく理解させなければならない。」
教会へのあかし 第1巻619ページ「もし神の民が、自分たちで何の努力もせずにいて、慰めの時が来て、彼らの悪を取り除き、そのあやまちを正すのを待ち、また、それによってすべての霊と肉の汚れが清められて、第3天使の大いなる叫びに従事するのにふさわしい者とされるのを待っているとするならば、彼らは資格のないことがあらわされることをわたしは示された。」
牧師へのあかし 507、508ページ「多くの者の大部分は、秋の雨を受け損じている。彼らは神がこうして彼らのために準備された祝福のすべてを得ていない。彼らはその欠乏を春の雨によって補われることと鳳っている。恵みがあふるるばかりに与えられる時に、彼らは心を開いてそれを受けようと厩っている。彼らは恐ろしいまちがいを犯している。……もしもわれわれが前進せず、秋と春の雨の両方を受けようとする態度を示さないならば、われわれは自分たちの魂を失うことになり、その責任は、われわれ自身が負わなければならない。」

不可欠の秋の雨

秋の雨における聖霊は、わたしたちをきよめ、改変して、すべての点において勝利するようにしてくださいます。これは、春の雨を受ける前にしなければならない準備です。
セレクテッド・メッセージズ 第1巻191ページ「今日、あなたがたは自己をむなしくすることができるために、自分自身を神にささげなければならない。……今日あなたがたは春の雨を受ける準備として、あなたがたの器を清めなければならない。なぜならば、すべての汚れを清められて、慰めの時と聖霊のバプテスマを受けるのにふさわしくなったすべての魂に春の雨がくだり、神の祝福が与えられるからである。」
教会へのあかし 第5巻214ページ「われわれの品性の欠点を改め、心の宮のすべての汚れを清めることは、われわれにゆだねられている仕事である。その時に秋の雨がペンテコステの日に弟子たちに下ったように、春の雨がわれわれの上に下るのである。」
教会へのあかし 第1巻187、188ページ「たといそれがどのような犠牲であっても、すべての点において打ら勝ち、すべての試練に耐え、勝利するものは、まことの証人の勧告に聞き従ったものである。そして彼らは春の雨を受け、生きながら昇天するのにふさわしい者にされる。」
初代文集 71ページ「多くの人々は、必要な準備を怠っていながら、彼らが主の日に立ち得て、神のみ前に生きるのにふさわしい者となるように慰めの時と春の雨を待っているのをわたしは見た。悩みの時に隠れ家のない人が非常に多いのをわたしは見た。彼らは必要な準備を怠った。だから彼らは、聖なる神のみ前に生きるのにふさわしいものにするために、すべての者が持つべき慰めを受けることができなかった。……すべての陥りやすい罪、高慢、利己心、世を愛する心、すべての悪い言葉と行為とに勝利した者でなければ『慰め』にあずかることができないことをわたしは見た。」
教会へのあかし 第1巻186ページ「ラオデキヤへのあかしは、今日の神の民に当てはまるのをわたしは示された。……それは神の民を目ざめさせ、彼らに彼らの背信を自覚させて、彼らを熱心な悔い改めに導いて、彼らがイエスの臨在にあずかり、第3天使の大いなる叫びをあげるのにふさわしい者とされるために計画されたものである。」
毎日、自我に死ぬことなく、聖霊に生活をきよめ、変えてもらわない人々は、春の雨の時の聖霊の現われを認めることも、理解することもできません。彼らはふるい落とされてしまいます。そして彼らの場所は、真理を堅く保って神の戒めを守る者と結合する人々によって補充されます。
牧師へのあかし 399ページ「聖霊が注がれる時に、秋の雨を受けず、それを理解しなかった人々は、春の雨の価値を悟ることも理解することもできないことは確かである。」
牧師へのあかし 507ページ「しかし秋の雨によって代表された恵みを無視してはならない。自分たちが持っている光を実践している者だけが大きな光を受ける。われわれが毎日、活動的キリスト者の徳の模範を示すことに前進していなければ、春の雨における聖霊の現われを認めることができないであろう。われわれのまわりのすべての人に注がれていても、われわれはそれを認めることも受けることもないだろう。」
セレクテッド・メッセージズ 第2巻57ページ「聖霊を受けていない者は、シオンの城壁の上で忠実な見張りとはなり得ない。なぜならば、彼らは自分たちのなすべき仕事について悟らず、しっかりしたラッパの音を出さないからである。ペンテコステの時のような聖霊のバプテスマは、真の信仰のリバイバルと、多くの驚くべき行為の復興をもたらすであろう。天の使いたちはわれわれの所を訪れ、人々は聖霊に動かされて語るのである。しかし主がペンテコステの日とそれ以後において人々に働かれたように働かれるならば、今真理を信じていると公言する多くの者は、聖霊の働きに対する理解が欠けているために、『狂信に注意せよ』と言うであろう。彼らは聖霊に満たされた人々に向かって、『あの人たちは新しい酒で酔っているのだ』と言うであろう。……聖霊が男女に下る時に、それを疑い批評する人々が起こるであろう。それは彼ら自身の心が感動を覚えず、冷淡で感受性がないからである。」
初代文集 271ページ「この一団の人々の数は減った。ある者はふるわれて、あとに取り残された。勝利と救いを高く評価し、そのために身を悩まして忍耐強く嘆願する群れに加わらない不忠実で冷淡な人々は、それを受けなかった。そして彼らは暗黒の中に取り残され、彼らの場所は真理を固守し、隊列に加わってくる人々によって直ちにうめられた。」

春の雨の準備をするのは今である

教会へのあかし 第5巻216ページ「わたしたちが品性の衣を洗い、小羊の血によって白くしなければならないのは今である。わたしたちが誇り、情欲、霊的怠慢に勝利しなければならないのは今である。わたしたちが目をさまして、品性の均衡のとれた発達のために決定的な努力をしなければならないのは今である。『きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいりない』われわれは、今、最も困難な立場にあって、目をさまして主の来臨を待っている。世界は暗黒の中にある。『しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう』とパウロは言っている。兄弟がた、あなたがたは大いなる準備の働きにおいて何をしているか。世と妥協している者は、世の型を受け、獣の刻印を受ける準備をしている。自己に頼らないで神の前でけんそんに、真理に従って魂を清める者は、天の型を受け、彼らの額に神の印を受ける準備をしている。法令が発布されて印が押される時、彼らの品性は永遠に清く、しみのないものとなる。」
時は非常に遅い。遅らせてはなりません。イスラエルは、2週間で約束の国に行けたにもかかわらず、40年間も荒野をさまよいました。
神の民が春の雨を受ける準備ができた時に、神の働きは短時間に終了するのです。
われらの高き召し 187ページ「われわれは聖霊に守られ、支配されていなければ、一瞬でも安全ではない。」
人類のあけぼの 下巻19ページ「われわれの心の衝動、思考、能力、性質などは、一瞬でも神の霊の支配下になくてもよいものはない。」
教会へのあかし 第8巻46ページ「われわれには神の生命のいぶきが、吹き込まれなければならない。……受ける用意ができた者には、洪水のような霊の力が注がれるのである。」
教会へのあかし 第5巻158ページ「われわれはペンテコステの日に弟子たちが祈ったように、聖霊が降ることを熱心に祈らなければならない。」
わたしたちの最大の必要は、春の雨に対する準備をさせてくださる聖霊を毎日受けることです。

キリストの心

ピリピ2:5「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」フィリップス訳「あなたがたの取るべき態度については・キリストご自身をあなたの模範にしなさい。」彼を知るために265ページーキリストはわれわれの手本であり、われわれが従うように与えられた完全な聖なる模範である。」
ミニストリー・オブ・ヒーリング 114ページ「世界が千九百年前に必要としたもの、すなわち、キリストの黙示は今日も必要である。」
彼を知るために174ページ「キリスト者になることは、ただキリストの名をとなえるだけではなくて、キリストの心を持ら、すべての事において神のみ心に従うことである。」
著名な教育家エルトン・トルーブラッド博士は、「われわれは、真の教会、すなわち愛に満らてキリストの心を現わしている人々の群の出現を待っている」と言いました。
次の引用文は、キリストがいかに天の父に依存されたかを示しています。イエスは、わたしたちの摸範です。
各時代の希望 第3巻162ページ「人性をとられたキリストは神の力にたよられた。『わたしは、自分からは何事もすることができない』とイエスは言明された。」
各時代の希望 第2巻59、60ページ「イエスが目をさまして嵐に応じられたとき、彼は平安そのものであった。そのことばにも顔つきにも恐怖の跡はみられなかった。イエスの心の中には恐怖がなかったのである。しかしイエスは、ご自分が大能の力を持っておられることをあてにされなかった。イエスが静かに落らついておられたのは、天と地と海の主としてではなかった。イエスはその大能の力をさしおいて、『わたしは、自分からは何事もすることができない』と言われる(ヨハネ5:30)彼は天父の力に信頼された。イエスが安心しておられたのは、信仰、すなわち神の愛と守りに対する信仰のゆえであった。嵐を静めたみことばの力は神の力であった。」
「父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである」とイエスは言われます(ヨハネ14:10)。
また、「わたしから離れては、あなたがたは何1つできないからである」とイエスは言われます。(ヨハネ15:5)。
キリストの実物教訓 140ページ「わたしたちの行う善行は、わたしたちの外からの力によるものである。」
わたしたちがラオデキヤの状態にあるとき、わたしたちは自分の必要を認めません。「何の不自由もない」と思っています。しかし、「人間にとって最大の危険は自己欺瞞に陥ることである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング 437ページ)。
「もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである」(ガラテヤ6:3)。
「人が自分の無価値なことを認めた時に、キリストの義を着せられる用意ができたのである」(われらの義なるキリスト124ページ)。
各時代の希望 第1巻254、255ページ「しかし神のみ子は、天父のみこころに従い、天父の力をあてにされた。キリストは、ご自分をまったくむなしくされたので、ご自分で計画をおたてにならなかった。主はご自分のために神のご計画を受け入れられたので、天父は日ごとにそのご計画をお示しになった。同じようにわれわれも、自分の生活が神のみこころのはっきりしたあらわれであるように、神に依存すべきである。」
各時代の希望 第2巻138ページ「イエスは、神のみこころにまったく服従されたので、その生涯には天父のみがあらわされた。」
キリストの実物教訓 129ページ「キリストの生涯は、人間がもし神の性質を持つならば、いったい何ができるかを示した。キリストが神からお受けになったものはみな、わたしたちも持つことができるものである。」
教会へのあかし 第9巻22ページ「男子も女子も神の力と神の指導の下にあって、キリストがこの世で送られたような生活を送ることができる。彼らは彼らのサタンとの戦いにおいて、キリストが与えられたのと同じ助けが与えられる。彼らは彼らを愛して、彼らのために己れをかかげられたかたによって、勝ち得て余りあるのである。」
各時代の希望 第2巻333ページ「自我を屈服させることがキリストの教えの本質である。」
各時代の希望 第3巻147ページ「イエスは、人がイエスに対する信仰を通して持つことのできないような特性をあらわしたり、能力を働かせたりされなかった。」
祝福の山 65ページ「人々が自分たちの道を選ぶときはいつでも、神に敵対することになる。彼らは天の原則と戦っているのであるから、天のみ国にはいることはできない。」
イエスは次のように言われました。「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである」(ヨハネ6:38)。「わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしている」(ヨハネ8:29)。
使徒パウロは、キリストの模範に従い、次のように言いました。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:20)。そして彼は次のようにわれわれに勧めています。「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(コリント第1・10:31)。
神は心によって肉体を支配しようとしておられます。サタンは肉体によって心を支配しようとしておられます。「体は心の僕でなければならない。そして心は肉体の僕であってはならない」(教会へのあかし第1巻487ページ)「すべての者は感覚がサタンに敗北しないように、感覚をよく見守っていなければならない。なぜならば、これらは魂への通路だからである」(教会へのあかし第3巻507ページ)。「多くの者の感覚は、食欲にふけることと、罪に慣れることとによってまひしている」(教会へのあかし第3巻476ページ)。
キリストの苦難 11、12ページ「われわれの救い主は、人間の魂を危機におとしいれるこの大いなる誘惑(食欲をほしいままにすること)においてサタンの力に抵抗された。もし人間がこの誘惑に勝利するならば、他のすべての点においても勝利することができる。」

キリストは毎日聖霊のバプテスマを受けられた

キリストの実物教訓 114ページ「キリストは、わたしたちに与えるために、父なる神から絶えずお受けになった。……イエスは、自分のためではなく、他の人々のために、生き、考え、そして祈られた。イエスは、毎朝神との交わりに幾時間かを過したあとで、人々に天の光を与えるために出ていかれた。イエスは、日ごとに聖霊の新しいバプテスマをお受けになった。」
各時代の希望 第1巻135ページ「キリストの人性は神性と結合していた。イエスは聖霊の内住によって戦いに備えられた。しかもイエスはわれわれを神のご性質にあずかる者とするためにおいでになったのである。」
もし神のみ子イエスが、毎日聖霊のバプテスマを新たに受ける必要があったとすれば、わたしたちは1体どうでしょうか。キリストは、あらゆる点においてわたしたちの模範ですから(キリストへの道124ページ)わたしたちは、戦いに備えるために毎日聖霊の内住の経験を持たねばなりません。
祝福の山 25ページ「失われた人類の救いのためにご自身をむなしくされたイエスには、聖霊が限りなく与えられた。同じように、主が内にお住まいになれるように全心をささげる時、キリストに従うすべての者に聖霊が与えられるのである。」
彼を知るために34ページ「もしキリストが勝利されたようにわれわれも勝利したいと思うならば、われわれはキリストをながめなければならない。われわれはキリストが抵抗されたように抵抗しなければならない。われわれは彼が祈られたように祈らなければならない。われわれは彼が苦悩されたように苦悩しなければならない。」
彼を知るために 16ページ「聖霊は常に人間に与えられていなければならない。さもないと、人間は暗黒の勢力と戦う気持ちを起こさないのである。」

聖霊はわたしたちのために何をされるだろうか

各時代の希望 第1巻110ページ「罪にとって、それがどこにみいだされようと『わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である』(ヘブル12:29)。神のみたまは、その力に服するすべての者のうちにあって、罪を焼きつくす。しかしもし人が罪に執着するなら、その人は罪と1体となる。そのとき罪を滅ばす神の栄光は、当然その人も滅ぼしてしまうのである。」
各時代の希望 第1巻203ページ「神のみたまが心を占領されるとき、それは生活を生まれ変わらせる。罪の思いはしりぞけられ、悪い行為は放棄され、愛と謙遜と平和が怒りとねたみと争いに入れ代わる。よろこびが悲しみに入れ代わり、顔には天の光が反映する。だれも重荷を持ちあげる手を見たり、天の宮からくだる光を目に見たりする者はない。祝福は、信仰によって魂が神に屈服するときに与えられる。その時、人間の目で見ることのできない力が、神のかたちにかたどって新しい人間を創造する。」
セレクテッド・メッセージズ 374ページ「われわれは聖霊が心に働かれることによってのみ、天にふさわしい者とされることができる。……われわれは、毎日、聖霊の感化によって変えられる必要がある……。」
レビュー・アンド・ヘラルド 1896年8月「聖霊は新たにされた魂をキリスト・イエスの型に適合させる。」
健康に対する勧告 594ページ「われわれが、罪に陥らない唯1の安全な方法は、絶えずわれわれを形造る聖霊の感化力の下にあることである。」
使徒の働き 53ページ「もしも人々が、彼らの品性が形成されることを喜んで受け入れるならば、人間の全体が清めを受ける。聖霊は神からのものを受けて、それらを魂に印するのである。」
セレクテッド・メッセージズ 第1巻337ページ「ろうに印がおされるように、魂は神の霊の感動を受けて、キリストの形を保持しなければならない。」

神の愛

ローマ5:5「わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」
キリストの実物教訓395ページ「み霊の内住は、天の愛があふれ出ることによってわかる。」
キリストの愛は、どれほどに大きなものだったでしょうか。イエスは十字架につけられた時に、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているかわからずにいるのです」と祈られました。「ああ、何という愛、何という驚くべき愛でしょう」「キリスト・イエスにあって抱いているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いにいかしなさい。」(ピリピ2:5)。わたしたちが、イエスが愛されたように愛する時、聖霊は世界が最も必要としているものを与えるために、わたしたちをお用いになります。
キリストの実物教訓 395ページ「人間によって救い主の愛があらわされることほど、世界が求めているものはない。」
キリストの実物教訓 390ページ「人びとの心に、みことばの原則を植えつけることによって、聖霊は、彼らの心の中に神の性質をめばえさせる。神の栄光の光、すなわち、神の品性が、神に従う者のなかに輝き出なければならない。」
キリストの実物教訓 392ページ「あわれみに満ちた最後の光、世界に伝えるべき最後のあわれみの使命は、神の愛の啓示である。神の子らは、神の栄光をあらわさなければならない。」
牧師へのあかし 50ページ「遂に教会によって神の愛の完全な表示が世界に行なわれて、世界はその栄光に照らされるのである。」
これは何という責任でしょう。何という挑戦でしょう。何という特権でしょう。聖霊の大いなる力によって神の愛の品性と、神の栄光とを現わさねばなりません。人間がこの事をなしとげる唯1の万法は、毎日自我に死んで、毎日聖霊のバプテスマを受けることです。神の力に全く服従する時、聖霊はわたしたちの内にある罪を焼き尽くされます。そしてわたしたちの顔が天の光を反映するまでに、わたしたちをきよめ、精錬し、変化させます。聖霊は、神の形にかたどって新しいものを創造されます。神の愛があらわされます。その時、わたしたちは春の雨と大いなる叫びの用意ができるのです。
使徒の働き 211ページ「聖霊がくだった時に、弟子たちはイエスと彼が救うためになくなられた人々に対する大きな愛に満たされたので、人々は彼らの語る言葉と祈りとを聞いて、心を動かされた。彼らは聖霊の力によって語った。そしてその力に動かされて幾千の者が悔い改めた。」
キリストの実物教訓 380、381ページ「兄弟に対する愛がなく、神の前にけんそんがないならば、彼らは無に等しいのである。……利己心が死に、首位を争う心が消え、心に感謝が満ち、愛が生活をかぐわしいものとするそのときこそ、キリストが魂のうちに宿り、わたしたちは、神と共に働く者として認められるのである。」
教会へのあかし 第6巻401ページ「キリストに対する愛とわれわれの兄弟たちに対する愛が、われわれがイエスと共にあってイエスから学んだものである事を世界にあかしする。その時に第3天使の使命は大いなる叫びになり、全地は主の栄光に照らされるのである。」
使徒の働き 50ページ「すべての働き人は、聖霊のバプテスマを毎日受けることができるように、神に嘆願しなければならない。」
教会へのあかし 第8巻23ページ「愛する兄弟姉妹がた、聖霊を祈り求めよう。」
聖霊のバプテスマを毎日受けるための代価を充分に払って、イエスの模範に従おうではありませんか。「キリスト・イエスにあって抱いているのと同じ思いをあなたがたの間でも互いに生かしなさい。」(ピリピ2:5)。

エノクと、バプテスマのヨハネ

神を知ること

教育 307ページ「世界はかつてみられなかったような緊張につつまれている。娯楽に、金もうけに、権力争いに、生存競争に、心も魂も肉体も恐るべき力にひきずられている。このたけり狂うあらしのさなかに神は静かにお語りになっている。」
神が人間に伝えようと望んでおられるこの重大な使命はいったい何でしょうか。エレミヤは、次のように言っています。エレミヤ書9:23、24「主はこう言われる、『知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである』。」
イエスは次のように語っておられます。「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります」(ヨハネ17:3)。
ミニストリー・オブ・ヒーリング 440ページ「神とイエス・キリストの知識は、……天の都のとびらを開く鍵である。」
各時代の希望 第3巻150ページ「神を知ることはわれわれの特権であるが、このように神を知るときに、われわれの生活は変わることのない服従の生活となる。」
キリストの実物教訓 90ページ「神と、神がつかわされたイエス・キリストを体験によって知ることは、人間を神のみ姿に変えるのである。」
教会へのあかし 第8巻329ページ「われわれは、品性を改変する神の知識を大いに必要としている。もしわれわれが、神のみこころをなしとげるならば、われわれの生活には、神のみことばの教えにふさわしい神の啓示が現われる。エノクとバプテスマのヨハネの経験は、われわれの経験がどのようなものであるべきかを表わしている。われわれはもっと真剣に、この人々の生活を研究しなければならない。彼らの1人は、死を見ることなくして天にあげられた人であり、もう1人は、キリストの初臨に先だって主の道すじを真っすぐにして、主の道を備えた人である。」

エノク

創世記5:24「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」
ヘブル11:5「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。……彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。」
教会へのあかし 第8巻329ページ「キリストによって与えられる無限で量り知れない神の愛が、昼となく夜となく彼の瞑想の課題となった。彼は熱誠をこめて、その愛をまわりの人々の間で現わそうと努めた。」
神は世界が水によって滅ぼされる前に、忠実なエノクによって神の愛をあらわされました。そして今、神は火によって世界が滅ぼされる前に、神の民によって神の愛をあらわすことを望んでおられます。神の愛があらわされることこそ、今日の世界が最も必要としていることです。
人類のあけぼの 上巻81ページ「エノクが神と共に歩んだのは(恍惚状態や幻を見るようなものではなくて、日常のすべての務めを果たすことにおいてであった。彼は、自分を世から全くしゃ断して、隠者にならなかった。というのは、彼は、この世で神のためにしなければならない仕事があったからである。」
教会へのあかし 第8巻330ページ「神の僕にあらわされた神の力を、彼の話を間いた人々は感じた。……エノクの心は永遠の宝に向けられていた……彼はこの地上に住んではいたが、信仰によって光の世界に住んでいた。」
人類のあけぼの 上巻81ページ「彼の心は、神のみ旨に1致していた。……エノクは、よく洗練され、すぐれた頭脳と広い知識の持ち主であった。彼は、神からの特別の啓示を受ける栄誉にあずかった。しかし、彼は、絶えず天との交わりを保って、神の偉大さと完全さとを常に実感していたのでだれよりもけんそんであった。彼は、神とのつながりが親密になればなるほど、自分の弱さと不完全さとを深く感じた。」
エノクは、絶えず神と交わって、大いなる神の力を受けました。そして、彼は全くけんそんな人になりました。D・L・ムーディーは次のように言いました。「偉大さの始めは小さくなることである。偉大さが増し加わることは、もっと小さくなることである。そして偉大さの完成は無になることである。」ホワイト夫人は、「唯一の偉大さは、謙遜の偉大さである。」と書かれました(各時代の希望第3巻126ページ)。
人類のあけぼの 上巻81、82ページ「こうして彼は主に仕え、神のみこころを明らかに知って、それを実行しようと努めた。彼にとって、祈りは魂の呼吸であった。彼は天のふんい気の中で生きていた。」
人類のあけぼの 上巻83ページ「エノクは、こうして、神と交わることによって、ますます神のみかたちを反映するようになった。彼の顔には、イエスのみ顔に輝く清い光が輝いていた。彼が、こうした神との交わりからもどってきたときには、神を信じないものさえ畏敬の念に打たれて、彼の顔に押された天のしるしをながめた。」
「エノクの経験は、われわれの経験がどのようにあるべきかを表わしている」(教会へのあかし第8巻329ページ)。もしわたしたちが毎日自分を十字架につけて、何一つ保留することなく、自分自身を神にささげ、聖霊が注がれることをいつも祈り求めているならば、わたしたちの顔は、聖なる光に輝くようになり、それを見る人々は、わたしたちの顔に天のしるしを見るようになります。
このような生活は、わたしたちの大きな必要を満たします。そして聖霊は、世界の大きな必要を満たすために、わたしたちを用いてくださいます。その時に、神の働きは短時間のうちに完成されます。
わたしたちは心を合わせて次のように言いましょう。「エノクの経験は、人の子の再臨によって東の空が明るくなるまで、神の恵みと聖霊の力によって、われわれの経験がどのようにあるべきかを示している。」
人類のあけぼの 上巻86ページ「この預言者の清い品性は、キリスト再臨の時に、『地からあがなわれ』る人々が到達しなければならない清い状態をあらわしている。……彼らは、エノクのように、主の再臨の警告を発する。……世界が水によって滅ぼされる前にエノクが天に移されたように、生きている義人は、地が火によって滅ぼされる前に天にあげられる。」
教会へのあかし 第8巻331ページ「エノクは3百年の問、天と調和するために心の清めを求めていた。彼は3百年の間、神と共に歩いた。彼は日ごとに密接な神との結合を望んだ。その交わりはいよいよ親しいものになり、ついに神は彼を取り去られた。彼は永遠の世界の門口に立ら、彼と天国とはわずか1歩の違いだけになった。そして今や門は開かれた。この地上で長く続いた神との歩みは続いて、彼は門を通って聖なる都に入った。彼は人間の中でそこに入った最初の人であった。『信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。……彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである』。」(ヘブル11:5)。神はわれわれをこのような交わりに招いておられる。主の再臨の時に人々の間から救われる者は、エノクのように品性が清くなければならない。」
教会へのあかし 第5巻555ページ「今日われわれが最も必要としていることは、神の聖霊のバプテスマを受けた人々、すなわち、エノクのように神と歩く人々である。」
教会へのあかし 第7巻155ページ「エノクのように神と共に歩かなければならない人々があるとするならば、今、それはセブンスデー・アドベンチストでなければならない。」

バプテスマのヨハネ

教会へのあかし 第8巻329ページ「エノクとバプテスマのヨハネの経験は、われわれの経験がどのようなものであるべきかを示している。」
ヨハネ5:35「ヨハネは燃えて輝くあかりであった。」
各時代の希望 第1巻99ページ「神はザカリヤの子をとうとい働きに召された。」
各時代の希望 第1巻99ページ「このような使者は聖なる者でなければならない。彼は神のみたまの内住する宮とならねばならない。」
教会へのあかし 第8巻333ページ「われわれはヨハネが伝えたようなメッセージを伝えるためには、彼のような霊的経験を持たなければならない。われわれは神を見なければならない。そして神を見つつ、自分を忘れなければならない。」
教会へのあかし 第8巻331、332ページ「バプテスマのヨハネは、荒野の生活において神の教えを受けた。彼は自然の中の神の啓示を研究した。彼は聖霊の指導のもとに預言者の書を研究した。昼も夜も、キリ、ストが彼の研究と瞑想の課題であった。そして、遂に彼の心と精神と魂は、輝かしい幻に満たされるようになった。彼はうるわしい王を眺めた。そして自己を忘れてしまった。彼は聖なる王を眺めた。そして自分の無力と無価値さを悟った。彼が宣言しなければならなかったのは、神のメッセージであった。彼は神の力と神の義によって立たなければならなかった。彼は神を見たのであるから、人間を恐れることなく、神の使者として出て行く用意ができた。彼は地上の王たちの前に恐れることなく立つことができた。なぜならば、彼は恐れおののきつつ、王の王の前に立ったからである。」

聖霊があふれるばかりに与えられた

教会へのあかし 第8巻333、334ページ「ヨハネは、信仰をもってあがない主を眺めながら、自己否定の頂点に到達した。彼は人々を自分に引きつけようとはせず、彼らの思いをいよいよ高く引き上げて、神の小羊を信じて安んじさせた。……神の使者としての召しに忠実なものは、自分たちの栄誉を求めない。自己愛は、キリストに対する愛にのまれてしまうのである。自己を捨てた預言者の魂は、神の光に満たされた。……キリストの弟子たちもそのようになる。われわれは自己をむなしくしょうとする時に、天の光を受けることができる。われわれは、すべての思いをとりこにしてキリストに従わせようとする時においてのみ、神の品性を理解し、信仰によってキリストを受け入れることができる。こうするすべての者に聖霊はあふれるばかりに与えられる。」
これは、わたしたちすべての者に与えられた約束です。わたしたちも、バプテスマのヨハネのように、条件にかなうならは、最大の必要が満たされます。その時、神は、世界の最も大きな必要を満たすために、わたしたちをうつわとしてお用いになります。
教会へのあかし 第9巻107ページ「もしもわれわれが神に器を提供するならば、神は働きをなさる。」
教会へのあかし 第8巻332ページ「ヨハネは、念の入った議論や詳しい学説を唱えて彼のメッセージを伝えたのではなかった。驚くべき厳格さを持ちながら、希望に満ちた彼の声が荒野から間こえてきた。『悔い改めよ、天国は近づいた』(マタイ3:2)。それは不思議な新しい力で人々を動かした。全国がわき立った。群衆が荒野に集まった。」
神は、一国民を動かすために、荒野で1人の人間をお用いになりました。神は、全世界を動かすために、忠実な残りの民をお用いになります。忠実なわずかの者の中に加わりたいと決心するならば、今、急いで準備をしなければなりません。ヨハネの経験は、わたしたちの経験がどのようなものであるべきかを示しています。
教会へのあかし 第8巻332ページ「まわりの地方から無学な農民や漁夫たち、ヘロデの兵舎から来たローマの兵隊たち、剣を腰に下げて反逆でも起こればすぐに鎮圧しようとかまえていた指揮官たち、税関から来た強欲な取税人たち、身に清めのしるしをつけてサンヒドリンから来た祭司たちなどがみな、魅せられたように彼の言葉に聞き入った。そして、パリサイ人、サドカイ人、冷淡な者、無感覚な噸笑者たちさえも含めて、すべての者が冷笑することをやめて、心に深く罪を感じながら去っていった。宮殿のヘロデもメッセージを聞いた。そして、高慢で罪に無感覚になった王は、悔い改めの呼び声に震えた。キリストが天の雲に乗って再臨される直前のこの時代において、ヨハネのような働きが行なわれなければならない。神は、主の大いなる日に立ち得る民を用意する人々を求めておられる。」
教会へのあかし 第7巻16ページ「来たるべき運命について世界に警告を発するという重大な責任が、われわれに負わせられている。神は、神の教会に、立ち上がって力を着るように求めておられる。」
文書伝道 155ページ「神の働き人はもっと深い経験を得なければならない。もし彼らがすべてを主にささげるならば、主は彼らのために大いなる働きをしてくださる。」

春の雨

秋の雨は日ごとに信者の心を満たし、罪に勝利を与え、キリストの義でおおうところの聖霊の改変力です。
春の雨はあかしをする力です。春の雨は、神の忠実な残りの民に、説得力をもって第三天使の大いなる叫びをあげる準備をさせます。その時、世界の目は、神の戒めを守る人々に集中します。
その時、神の民は神の愛をあらわし、神の品性、すなわち神の栄光をあらわします。こうして彼らは、仲保者なしで最後の7つの災いがくだる間、立ち得る準備ができます。
セレクテッド・メッセージズ第1巻192ページ「聖霊がいつくだるか、すなわち、いつ大いなる天使が天からくだって、第三天使に加わり、この世界の働きを終了するかについては、はっきりした時がわたしにはわからない。わたしの言いたいことは、われわれはあかりを整えて火をともし、天からの慰めの時のために準備をしていることが唯一の安全なことであるということである。」
神の僕は、聖霊がくだる時がいつであるか老指示されませんでした。しかし、「悩みの時が始まるときに……『春の雨』すなわち主のみ前からの慰めの時が来る」と言われました(初代文集85、86ページ)。これは災いがくだる前の短い悩みの時です。全人類が2つのグループに分けられる時が近づいています。獣のしるしを持った者と、額に神のみ名を持った者とに分けられます。

獣のしるし

各時代の大争闘下巻165ページ「米国の主要な教会が、その共通の教理において合同し、国家を動かして教会の法令を施行させ、教会の制度を支持させるようになるそのときに、プロテスタント・アメリカは、ローマ法王制の像を造り、その必然の結果として、反対者たちに法律上の刑罰を加えることになるのである。」
各時代の大争闘下巻170、171ページ「しかし、過去においては、聖書の安息日を守っていると信じて、日曜日を守ってきたキリスト者たちがいた。また、日曜日は神が定められた安息日であると心から信じている真のキリスト者たちが、今も各教会におり、ローマ・カトリック教会も例外ではない。神は彼らの真剣な心と神の前での誠実さを受け入れられる。しかし、日曜日遵守が法律によって強いられ、真の安息日を守るべきことが世界に明らかにされるその時に、神の戒めを破って、単にローマの権威によるものにすぎないところの戒めに従う者は、それによって、神よりも法王教をあがめるのである。そのような人は、ローマに敬意を払い、ローマが定めた制度を強制する権力に敬意を払っている。彼は、獣とその像を拝んでいる。こうして、神がご自分の権威のしるしであると宣言された制度を拒んで、その代わりに、ローマがその至上権のしるしとして選んだものを尊重するときに、人々は、それによって、ローマに対する忠誠のしるし、すなわち『獣の刻印』を受けるのである。こうして、この問題が人々の前に明らかに示されて、神の戒めと人間の戒めのどちらかを選ばねばならなくなったとき、それでも神の戒めを犯し続ける人々が、『獣の刻印』を受けるのである。」
教会へのあかし第5巻451ページ「新教会が深い淵を越えて手を伸ばし、ローマの力と手を握り、深淵を越えて心霊術に手を伸ばし、この3重の結合の力によって、わが国が新教と民主主義的政府の憲法のすべての原則を破棄し、そして法王権の虚偽と欺瞞とを普及させる準備をするときに、われわれは、サタンが驚くべき働きをする時が来て、終わりが近いことを知るのである。」
各時代の大争闘下巻170ページ「米国における日曜日遵守の強制は、獣とその像の礼拝の強制となるのである。」
これがバビロンの倒れたしるしですこれが問題点です。獣とその像の礼拝に対する神の唯一の解答は、神の像が魂の中に回復されて、生活に反映されることです。神の試練の時がすみやかに近づいています。わたしたちは今、準備をしなければなりません。
教会へのあかし第7巻141ページ「神の律法の代わりに人間の律法を代用すること、すなわち、聖書の安息日の代わりに人間の権威のみに基づく日曜日を高めることが、人類歴史のドラマの最後の場面である。」
レビュー・アンド・ヘラルド1893年5月2日「米国民は恵まれた国民である。しかし彼らが宗教の自由を強制し、新教主義を放棄し、法王権を支持するときに、彼らの罪のますめは満ちて、国家としての背信が天の書に記される。この背信の結果は国家的破滅である。」
教会へのあかし第6巻18ページ「宗教自由の国アメリカが法王権と手を握り、良心を強制し、人々に偽りの安息日をあがめるように強いる時に、地球上のあらゆる国の人々は、その例にならうようになる。」
教会へのあかし第6巻395ページ「外国の国々が米国の摸範に従うようになる。米国は主導権を握ってはいるが、同じ危機は世界の各地にいるわれわれの民の上にやってくる。」
各時代の大争闘下巻353〜356ページ「いろいろな霊からの伝達は、神は日曜日を拒絶する者たちにそのまちがいを悟らせるために自分たちを送られたのだと宣言し、国家の法律は神の律法と同様に遵守しなければならないと断言する。霊たちはまた、世の中が非常に悪くなったことを嘆き、道徳的に堕落している状態は日曜日の冒漬に原因があるという宗教家たちの証言を支持する。彼らのあかしを信じようとしないすべての者に対して、ますます激しい怒りが引き起こされる。」
各時代の大争闘下巻377ページ「教会は、政権の強大な権力に訴える。そして、この働きにおいて、カトリックとプロテスタントは提携する。日曜休業運動が、ますます大胆に、ますます断固として推進されるにつれて、戒めを守る人々に対して法令が発布される。彼らは、罰金や投獄をもって脅かされる。そして、ある者は有力な地位によって、また他の者は報賞や便宜の提供によって、信仰を放棄するよう勧誘される。」

大いなる試練

セレクテッド・メッセージズ第2巻368ページ「袖の律法が無効にされて教会が火のような試練にふるわれるとき、今予想する以上の多くの人々が、欺く霊と悪魔の教えに耳を傾ける。」
教会へのあかし第5巻717ページ「兄弟がた、他の人々の運命と同様にあなたがた自身の救いが目の前にある試練に対して今、準備することにかかっていることを知っておられるか。」(各時代の希望第1巻110ページ第1パラグラフ、各時代の希望第1巻203ページ第1パラグラフ、ローマ8:14参照)。
聖書コメンタリー第7巻976ページ「獣の像は恩恵期間が終わる前につくられることを、主ははっきりとわたしに示された。これは神の民にとって大きなテストになるものであり、それによって彼らの永遠の運命が決定されるのである。」
各時代の大争闘下巻378ページ「あらしが迫って来るとき、第三天使の使命を信じると公言していながら、真理に従うことによって清められていなかった多くの者が、その信仰を棄てて反対の側に加わる。」
この時サタンがキリストをまねるでしょう。(各時代の大争闘下巻395―400ページ参照)。
セレクテッド・メッセージズ第2巻51ページ「われわれは最後の時代にサタンがしるしと偽りの不思議を行なうことについて警告されている。そして彼は、これらの不思議な業を、風恵期間の終わりまで続けて、自分が暗黒の天使ではなくて、光の天使である証拠として示そうとするのである。」
教会へのあかし第5巻81ページ「この時に、金が教会の中の不純物から分けられる。真の敬虔は、ただうわべだけの飾りと、はっきり区別される。われわれがその輝かしさを賞賛した多くの星が、その時に消え去って行く。」
各時代の希望第3巻95ページ「試みの時に自分自身の安全を求めて背信する者たちは、偽りのあかしをたて、兄弟たちを裏切る。キリストは、光をこばむ者たちが異常で冷酷な行動をとってもわれわれが驚かないように、このことについて警告された。」

春の雨と大いなる叫び

各時代の大争闘下巻190ページ「地上に神の最後のさばきが下るに先だって、主の民の間に、使徒時代以来かつて見られなかったような初代の敬虞のリバイバルが起きる。神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる。」
初代文集85ページ「われわれは悩みの時が始まった時に、聖霊に満たされて出て行き、安息日をさらに十分に宣布した。……ここで言われている『悩みの時のはじめ』というのは、災いがくだり始める時のことではなくて、それがくだり始める直前の短い期間のことで、キリストがまだ聖所におられる時のことである。救いの働きが終わろうとしているその時、地上には悩みが起こる。そして国々は怒るが、まだ第三天使の働きを妨げないように押えられているのである。その時に『春の雨』すなわち主のみ前から慰めが来て、第三天使の大いなる声に力を与え、そして最後の七つの災いがくだっている時に、聖徒たちが立ち得るように準備を与える。」
教会へのあかし 第6巻401ページ「……迫害のあらしがほんとうにわれわれのところにやって来る時、真の羊は真の羊飼いの声を聞く。失われた者を救うために、自己犠牲的な努力が行なわれる。そして、おりからさ迷い出ていた多くの者が大いなる牧羊者イエスに従うために帰って来る。……キリストに対する愛、われわれの兄弟たちに対する愛が、われわれがイエスと共にあり、彼から学んだものであることを世に証明する。その時、第三天使のメッセージは大いなる叫びになり、全地は主の栄光に照らされる。」
初代文集 227〜279ページ「わたしは彼らの上に大きな光が宿るのを見た。そして彼らは、一つになって第三天使のメッセージを恐れることなく宣言した。……神の栄光が忍耐して待っている聖徒たちに宿った。そして彼らは恐れることなく最後の厳粛な警告を伝え、バビロンが倒れたことを宣言した。そして神の民がその恐るべき運命を免れるように、その中から出て来るように呼びかりた。……神の僕たちは、上からの力を与えられた。彼らはその顔を明るく聖なる献身に輝かせて、天からのメッセージを宣布するために出かけて行った。あらゆる宗教団体に散らばっていた魂は、その召しに答えた。そして彼らはちょうどロトが滅亡にひんしたソドムから急いで出たように、滅ぶべき運命に陥った教会から急いで出て来た。」
(各時代の大争闘 下巻382、383ページ参照)。
各時代の大争闘 下巻376ページ「第三天使の使命も、このようにして宣布される。それが非常な力で伝えられる時が来るならば、主は謙遜な器を通して働かれ、主の奉仕に献身した人々の心を導かれる。働き人は、学歴でではなくて、聖霊を注がれることによって資格を与えられる。信仰と祈りの人は、聖なる熱意に燃えて出て行き、神から与えられる言葉を宣言せざるを得なくなる。バビロンの罪は暴露される。教会の法令を政権によって強制することの恐るべき結果、心霊術の侵入、法王権のひそかではあるが急速な発展などが、みな暴露される。これらの厳粛な警告によって、人びとは動かされる。こうした言葉を聞いたことのない者が、幾千となく耳を傾ける。」
教会へのあかし 第8巻20ページ「人々が聖霊の支配に自分たちをゆだねる時に、神は大いなる働きをすることがおできである。」
今や教会の働きが、輝かしい栄光のうらに全世界において終わる時です。
教会へのあかし 第5巻754ページ「……この働きが遂に完成されるその速度は、いなづまの速度にたとえられている。」
教会へのあかし 第9巻96ページ「神が事態を支配しておられることを示す事件が続々と起こる。」
ローマ9:28「主は、御言をきびしくまたすみやかに、地上になしとげられるであろう。」
教会へのあかし 第6巻19ページ「キリストの義のメッセージは、主の道を備えるために、地球のこの果てからかの果てまで伝えられなければならない。これが第三天使の働きを終了する神の栄光である。」
祝福の山 53ページ「『起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから』(イザヤ書60:1)。福音の預言者イザヤを通して語られたキリストのみことばは、山上の説教に反響しているにすぎないのであるが、このみことばは、終わりの時代に住むわたしたちのために語られたのである。もしあなたの心に主の栄光がのぼり、あなたが万人にぬきんでる主の美しさ、美しさの窮みであるおかたを見、あなたの魂が主の臨在の栄光によって輝くようになったら、この言葉は主からあなたに送られているのである。」
キリストの実物教訓 391ページ「世界の暗黒の中に、神の栄光の光、恵みとあわれみと真理の光が輝かなければならない。」
初代文集 279ページ「わたしは第三天使のメッセージが終了する時のことを見せられた。神の力が神の民に宿った。彼らは彼らの働きを完了し、彼らの前にある困難な時の用意がすんだ。彼らは春の雨、すなわち、主の前からの慰めを受けた。そして、生きたあかしが復興した。最後の大きな警告が至る所で叫ばれた。そしてそれは、メッセージを受けようとしない地の住民を刺激して怒らせた。」
牧師へのあかし 445ページ「世と肉と悪魔に勝利する者は、生ける神の印を受ける恵まれた者である。」
聖書コメンタリー 第7巻968ページ「悩みの時に入る直前にわれわれはみな、生ける神の印を受けた。その時、わたしは、四人の天使が風を止めることをやめるのを見た。そしてわたしは、ききん、疫病、戦争が起こり、国は国に逆らって立ち、全世界は混乱に陥るのを見た。」
各時代の大争闘下巻 385、386ページ「すなわち、最後の試みが世界に臨み、神の戒めに忠実であることを示した者はみな、『生ける神の印』を受けたのである。その時イエスは天の聖所でのとりなしをやめられる。」

恩恵期間の終了

初代文集 279〜281ページ「わたしは、天使が、天のあちらこちらを急いでいるのを見た。筆記用のインキつぼをかたわらに持ったひとりの天使が地から帰って来て、この働きが終わり、聖徒の数が数えられて、印が押されたことをイエスに報告した。それからわたしは、十戒が入っている箱の前で務めをしておられたイエスが、香炉を投げ出されるのを見た。彼は手を上げて、大きな声で『すべてが終わった』と言われた。『不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ』(黙示録22:11)という厳粛な宣言をイエスがされた時に、すべての天使の軍勢は、彼らの冠をぬいだ。……イエスが至聖所から出られると……黒い雲が地の住民をおおった。その時罪を犯した人間とお怒りになった神との間に仲保者はなかった。……それからイエスは祭司の服をぬいで、最も輝かしい王位をまとわれた。彼は額に多くの冠をかぶっておられた。冠の中にまた冠があった。彼は天使たちに取り囲まれて天を去られた。地の住民には災いが下っていた。ある者は神を弾劾しのろっていた。また神の民の所へ走って行って、神の怒りをのがれる方法を教えてほしいと願う者もあった。しかし聖徒たちはどうすることもできなかった。罪人のための最後の涙はすでに流され、最後の嘆願の祈りはささげられ、最後の重荷は負われ、最後の警告は発せられた。……彼らは恐るべき明確さをもって、『おそすぎる、おそすぎる』という言葉を聞いた。」
災いが下り始める時に、多くの人々が、早くしておればよかったと思うことを、今、しようではありませんか。その時になって何1つ保留もせずに服従し、聖霊のバプテスマを日ごとに受けようと熱心に求めても、もうおそいのです。
今こそ、自我を捨て、春の雨のための用意を急がねばなりません。
教会へのあか し第8巻22ページ「われわれが力を受けるのはこのような方法なのである。だからわれわれはどうして聖霊の賜物をうえかわくように求めようとしないのだろうか。なぜそれについて語り、それについて祈り、それについて説教しないのだろうか。」
牧師へのあかし 64ページ「……何故、われわれは教会の代表者として恵みの座の前にひれ伏し、砕けた心と悔いた心とをもって、天から聖霊がわれわれの上に注がれるように切なる願いをしないのだろうか。」
われらの義なるキリスト 165ページ「われわれは団体として、われわれの心を神の前に低くして、聖霊の賜物を神に祈り求めようではないか。」
牧師へのあかし 310、223ページ「われわれは瞬間ごとに聖霊の臨在が必要であることを自覚しなければならない。……われわれは敵のわなを避け、魂を危険にさらさないために、毎日、毎時、聖霊に清められる必要がある。」
わたしたちは、毎年大きく発展しながら、ただ漫然と主の仕事を続けて行けばよいのではありません。神が聖霊の大いなる力のもとに、わたしたちを用いて、働きをすみや
かに完結される時は、もうとっくに過ぎ去っています。
教会へのあかし 第9巻44ページ「われわれは、今、非常な熱心さを持たなければならない。」
今は最大の危機です。
7つの災いの時に生き残るのは聖なる品性を持った者だけです。
重大な必要-残りの教会の最大の必要は、教会員、牧師、資金、設備などの増加ではありません。最大の必要は霊に満たされた男女です。
わたしたちは大きな伝道機関を持っています。わたしたちは世界最大の印刷物を持っています。わたしたちは世界最大の組織を持っています。しかし神の働きの完成のためには、聖霊のバプテスマを日ごとに受けねばなりません。
地上歴史のこのクライマックスにおいて、何一つ保留することなく、この大きな挑戦に応じるのはだれでしょうか。

将来の危険

教会へのあかし 第5巻644ページ「……サタンは、もし人々を無関心という氷の中に閉じ込めておくことができないならば、彼らを狂信の炎の中に押し出そうとする。」
わたしの生きる信仰 140ページ「自分は清いと主張する人は、ほんとうに清くはない。天の書に清いと記されている人は、その事に気づかない。そして彼ら自身の善良さを誇ったりするものではない。」
きよめの生活 7ページ「完全なキリスト者の品性を真に求めている者は、自分たちに罪がないという考えは持たない。彼らの生活は非の打ち所がないかもしれない。彼らは、自分たちの信じる真理を生きた代表者であるかもしれない。しかし彼らが自分たちの心を訓練して、キリストの品性を瞑想すればするほど、ますます彼らは神のみ姿に近づき、その品性のしみのない完全さを認める。そして自分たちの欠陥をさらに深く感じる。」
キリストへの道 81ページ「イエスに近づけば近づくほど、ますます欠点が多く見えてきます。それは自分の目が開けて明らかになり、イエスの完全さに比べて、自分の不完全さが大きくはっきりと見えるからです。」

サタンのわな

福音宣伝者 316ページ「終末が近づくにつれて、敵は全力をあげて、われわれの中に狂信を持ちこもうとする。」
教会へのあかし 第8巻293ページ「光の装いをした偽りの説が神の民に提示されるであろう。サタンはできれば選民をも欺こうとするであろう。」
聖書コメンタリー 第7巻907ページ「終末に近づくにつれて、虚偽が真理に混ぜられる。そして、ただ聖霊の導きを受けている者だけが真理と誤りとを見わけることができるだろう。」
牧師へのあかし 55ページ「偽りの教師たちが神の働きのために非常に熱心なように思われることだろう。そして、彼らの説を世界と教会の前に提示するために、資金を使うだろう。しかし彼らが真理に誤りを混ぜるので、彼らのメッセージは欺瞞であって、魂を誤った道に導く。彼らが悪人であるからではないが、彼らが偽りの教師であって、虚偽に真理の印を押そうと努力しているから、われわれはそれに反対しなければならない。」
牧師へのあかし 61ページ「神は地上に教会を持っておられる。それは神の選びの民であり、神の戒めを守る人々である。神は、本筋からそれたところの、この個人、またはあの個人を導いておられるのではなくて、一つの民を導いておられるのである。」
残りの教会の指導者または信徒を批判して、サタンを援助するような誘惑を受けている者は、次の引用文の中にあるホワイト夫人の勧告をよく考えていただきたいと思います。
教会へのあかし 第6巻42ページ「この世界で教会ほど神が愛しておられるものはない。神のために奉仕している者の影響をそこなう行為ほど、神がきらわれるものはない。神は、サタンを助けて批評し、人々を失望におとし入れる働きをするすべての者の責任を問われる。」
教会へのあかし 第8巻36ページ「われわれは非常に熱心でなければならない。われわれには批評非難をしているひまはない。」
牧師へのあかし 156ページ「イエスを愛する人々は、イエスが救おうとしてなくなられた人びとを愛する。心に植えられた真理は、イエスの愛とその改変の力をあらわす。苛酷で陰気で、批評的で横暴なことはすべて、キリストからではなく、サタンから出るものである。」
批判の精神は、危険信号とみなさねばなりません。聖霊がわたしたちをきよめ改変されるとき、わたしたちの心は、神に対する愛と、兄弟たちに対する愛に満たされます。
残りの教会の大部分がラオデキヤの状態にあることと、その多くの者がふるわれるのは事実ですが、まことの証人であられるキリストの勧告に聞き従う忠実な群があります。彼らは春の雨を受ける用意を整え、大いなる叫びをもってメッセージを宣布するのに加わり、生きながら昇天する準備を整えます。
これが残りの教会です。神は他の運動を起こされません。春の雨の時に、忠実な者たちが大いなる力をもってメッセージを伝えます。その時、堕落した教会から大群衆が出て来て、主のためにあかしを立て、ガラスの海の上のあがなわれた人々と共に勝利します。
今こそ春の雨のために準備をする時です。そしてこの準備の働きは、秋の雨のもとにおいて起こるものであることを毎日忘れてはなりません。

瞑想のための追加引用文

初代文集 66、67ページ「わたしの目は輝かしい光景を離れて、地上の残りの民に向けられた。天使は彼らに言った。『あなたがたは最後の七つの災いを避けたいであろうか。あなたがたは栄光に入り、神を愛し、神のために喜んで苦しみを受ける者のために神が備えられたものを、すべて受けたいと思うであろうか。もしそうであれば、あなたがたは生きるために死ななければならない。準備しなさい。準備しなさい。準備しなさい。今よりはもっとよく準備しなければならない。……神にすべてをささげなさい。祭壇にすべてをのせなさい。……自分も財産もすべてを生きた供え物としなさい。栄光に入るには、すべてをささげなければならない。……』もし苦難によって天国に入ることができるならば、天国は安価なものである。われわれは絶えず自己を否定し、毎日自己に死に、イエスだけを表わし、彼の栄光をつねに表わしていなければならない。……『自己を拒否せよ。あなたがたは早く進まなければならない』と天使は言った。」
彼を知るために 237ページ「自分自身を見させて下さいと主に求めよ。……自己は死ななければならない。」
彼を知るために 291ページ「われわれの将来の永遠の幸福は、われわれ人間のすべての力量と能力とを神に従わせて、神の支配下におくことにかかっている。……イエスは神と人間との間の仲保の働きをするため……また人間がエデンでサタンの誘惑に負けて失った本来の心を回復するために、人間となられた。」
セレクテッド・メッセージズ 第1巻98ページ「主はわれわれ一人びとりが真に熱心になることを望まれる。」
教会へのあかし 第9巻44ページ「われわれは今、非常な熱心さを持たなければならない。」
教会へのあかし 第5巻267ページ「聖霊の大いなるカが、活力と回復と改変をもたらす力をもって、電流の衝撃のように、なえた心にくだって、すべての神経に新しい生命を与え、人間全体をその死んだ世俗的肉の様から健全な霊的状態に回復するように、神に祈ろう。こうしてわれわれは、世にある欲のために滅びることを免れて、神の性質にあずかるものとなる。そして、われわれの魂の中に彼の姿が反映する。その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」
健康に関する勧告 138ページ「セブンスデー・アドベンチストの信者が清められて、その清めを保って行くためには、聖霊を彼らの心と彼らの家庭に持たなければならない。今日のイスラエルが神の前に自分たちを低くして、心の宮のすべての汚れを清める時に、神は病人のための彼らの祈りをお聞きになり、病気をいやすための神の治療法の使用を祝福されるという光が主からわたしに与えられた。」
預言者と王 233ページ「清められた心の人にとって、すべてのものは変わる。品性が改変されることは、キリストが内住しておられることを世界にあかしするのである。神の霊は魂の中に新しい生命を造り出し、思想と願いとをキリストの意思に従わせる。そして内なる人は神のかたちに従って新しくされる。」
教会へのあかし 第7巻33ページ「使徒たちが行った事はみな、今日のすべての教会員がしなければならない。」
使徒の働き 49、50ページ「彼らは、完全に向かってさらに高く昇って行くために、毎日恵みが新しく与えられることを祈った。聖霊の働きの下に、最も弱々しい者でさえも、神に対する信仰を働かせて、彼らにゆだねられた能力を発達させ、清められ、洗練され、気高くされるようになることを学んだ。彼らを形造って行く聖霊の力に自分たちをけんそんにゆだねた時に、彼らは神に満ちみちているものを受けた。そして神のかたちにかたどられていった。……もしすべての者が望むならば、みな聖霊に満たされるのである。」
健康に関する勧告 437ページ「人間が自分の意志を神の意志に従わせる時に、聖霊は彼が働きかけている人々の心に印象をお与えになる。」
ミニストリー・オブ・ヒーリング 497ページ「わたしたちの働きにおいては、神との交わりの実際的結果よりもさらに心要なことはない。わたしたちは救い主による平安と安息を有していることを日常生活の上に表わさなければならない。心のうちにあるキリストの平安は顔に輝き出て、その言葉には人を信じさせる力を与えるものである。神との交わりは品性と生活を高尚にする。そして、初代の弟子たちのように、わたしたちも主イエスと共に居ることを人々は認めるのである。それは他のどんなものも与えることができない力を働き人に与える。働き人はこの力を失ってはならない。」

無限の可能性

各時代の希望 第1巻311ページ「キリストを最も多く愛する者は最も多くよいことをする。自我を捨てて、聖霊が心に働かれる余地をつくり、神に全く献身した生涯を送る者の有用さには限りがない。」
ミニストリー・オブ・ヒーリング 132ページ「何をも惜しまず、奉仕のために自らをささげる者にはだれでも測り知れぬ結果を生ずる力が与えられる。」

見よわたしは戸の外に立ってたたいている

セレクテッド・メッセージズ 第2巻57ページ「キリスト者と称える人々の大きな罪は、彼らが聖霊を受けるために心を開かないことである。」
われらの義なるキリスト 146ページ「あなたが心の戸を開くならば、イエスはその空間を聖霊の賜物で満たされる。そしてあなたは家庭においても教会においても、世界においても生きた説教者となることができる。」
教会へのあかし 第7巻33ページ「使徒たちが行った事はみな、すべての教会員が今日しなければならない。そして罪悪が増加して、悔い改めに対するもっと断固とした呼びかけが必要な時にあたって、われわれは彼らと同様の熱心さをもって働き、彼らと同様に豊かな聖霊の賜物を受けなければならない。……万物の終わりが近づいているこの時にあたって、教会は初代教会以上の熱心さを持つべきではなかろうか。……今日使徒時代以上の大きな神の力が現われるべきではないだろうか。」

編纂B・E・ワグナー