目を覚ましていなさい

マルコ13:33~37 

藤田昌孝(西日本教区長)

 マルコ13章は小黙示録と呼ばれています。その内容が、世の終末について描かれているからです。

13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。

13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。

13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。

13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。

13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

 ここでは、目を覚ましていなさいという言葉が4回も繰り返され、強調されています。
 この目を覚ましていなさいの意味を探りつつ、私たちの負うべき責任について考えてゆけたらと思います。

 目を覚ましていなさいの意味、それは13章全体を読みますと明らかです。イエス様とイエス様の御言葉に絶えず目を注いでゆきなさいということです。特に、イエス様のご再臨を覚えていなさい、ということです。
 イエス様のお越しを忘れてはなりません。私たちはイエス様を待ち望んでいなければなりません。
 私が結婚して数年後、家内の誕生日を忘れたことがあります。講演会の最中であったため、うっかり忘れてしまいました。午後になって「今日は何の日か知っている?」と家内。私の手帳には明記されていましたが、忘れていました。恐ろしいことです。
 先輩の牧師にうかがいました。どうしたら妻の誕生日を忘れずにおれるか? 牧師さんはおっしゃいました。「それは誕生日を覚えようとするからいけないんだよ、奥様をいつも覚えていれば、誕生日を忘れるようなことはないんだよ」。

なるほど。

 以前韓国の祈祷院のホン先生が九州に来られた折、集まった皆様にお聞きになりました。

 「皆さんはご再臨を持ち望んでいますか?」。
 「ハーイ」。
 「イエス様を待ち望んでいますか?」。
 「ハーイ」。
 「本当にイエス様を待ち望んでおられますか?」。
 「ハーイ」。
 「本当ですか?皆さんはひょっとすると、ご再臨の日、自分が復活すること、回復されること、復活した人々と再会することを望んでいるのであって、本当にイエス様とお会いすることを願っておられますか?」。
 「ハ・・・・・イ?」。
 私たちは、イエス様を日々、覚えている必要があります。その上でイエス様が再び下って来られる、ご再臨を待ち望みます。そしてこのお方に仕えてゆきます。
 目を覚ましていなさいの意味の一つは、イエス様とイエス様の御言葉に絶えず目を注いでゆきなさいということです。特に、イエス様のご再臨を覚えていなさい、ということです。
 目を覚ましていなさいのもう一つの意味は、イエス様から割り当てられている仕事、持たされている責任を果たしなさいということです。34節に書かれています。

 「それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ」(マルコ13:34)

 「旅に出る人」はイエス様のことです。「僕たち」は私たちキリストの弟子たちのことです。
 「目をさましていなさい」とは、イエス様から割り当てられている仕事、持たされている責任を果たしなさいということです。特に門番の働きは重要です。
 門番、見張り人の働きは、終末を告げ知らせることです。様々な前兆を見極めながら、人々にイエス様のご再臨を知らせ、警告を発することです。 
 私たちには、この使命が託されています。エレン・ホワイトのお言葉です。

 「セブンスデー・アドベンチストは、特別な意味で、ものみと光を掲げる者として、この世に置かれている。滅び行く世界に対する最後の警告が彼らに委ねられた。神の御言葉から驚くべき光が、彼らに、第一、第二、第三天使のメッセージの宣布という最も厳粛で重要な働きが与えられた。これほど重大な働きは他にない。彼らは、他の何ものにも心を奪われてはならない」(『伝道』上160)

 その働きは今すぐに始められなければなりません。遅れてはなりません。なぜ今すぐなのか?といいますと、33節35節にそれが書かれています。

 「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである(マルコ13:33)

 時がいつなのかは、分からない、それは今すぐに始めよ、ということです。いつなのかが分からなければ、いつでも準備ができていなければなりません。だから今すぐ始めてそれを続けなさいということです。私たちは今からすぐに主に仕えていくべきです。
ところが・・・36節。

 「主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない」(マルコ13:36)

 「眠っている」とは「目を覚ましている」の反対です。主の御言葉・イエス様から目を離している状態です。もし、私たちがイエス様から、主の御言葉から目をそらしてゆきますと、そのかわりに、別のことに目が奪われてゆきます。特に目に見えることに心が引かれます。
 たしかに私たちには大切なことがたくさんあります。お金や仕事、家族、健康、住むところ、食べるもの、着るもの、そして私たちの教会、組織。それらはどれも大切です。 
 しかし、それらは第一ではありません。私たちの第一はキリストです。かえって、第一のお方を第一にするとき、はじめてその他、大切なものが本当の意味を持ち始め、真に大切に守られてゆくのです。
 私たちは今、いったい何に心を悩ましているでしょうか?
 本当は、私たちは今、本来は、何に心を悩まさなければならないのでしょうか?
 預言の霊の厳しいお言葉を真摯に受けとめる必要があります。

 「わたしは、残りの民が、この地上に起ころうとしていることのために、準備をしていないのを見た。最後の使命を持っているという信仰を公言する人々の大部分は、昏睡状態のような無感覚に陥っている」(『初代文集』222)

 「わたしは、神の民が、魔法をかけられた国におり、ある者は、時の短いことや魂の価値について、全くといっていいほど自覚を失っているのを見た」(『初代文集』223-224)

 光の天使は滅びるばかりの魂に、天の光と力をあなたを通して与えようと待ちうけているのである」(『祝福の山50』)

 私たちが本当に心を悩ませなければならないのは? 多くの時間と関心と労力を費やさなければならないのは?私たちが心を悩まさなければならないのは、今まさに失われようとしている私たちの日本の同胞、99%の滅びようとする魂、そのことです。そのことの責任について私たちは心を悩ませなければなりません。
 神様が求めておられるは、失われた魂を救い出すことです。このことが私たちに与えられている務め、責任なのです。このことが私たちの最優先議題として討議されなければなりません。
 ところが、私たちは時として、このイエス様からのメッセージを受け取りがたく感じることがあります。無力さを覚え、様々な問題に心を悩ませるからです。
「神様、今、それどころではないのです」
と。
 イエス様の弟子たちもそうでした。イエス様から直接その責任を託されたとき、彼らもまた、自分たちの足りなさ無力さを覚え、イエス様の託宣に戸惑いを感じたと思われます。

 「ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)

 この務めに対して、彼らには力がありませんでした。知恵も知識も技術もありませんでした。それどころか彼らの中には不一致や勢力争いがありました。御身大切、自分たちの命を守ることに心を悩ましていたのです。まさに、
「イエス様、今、私たちはそれどころではないのです」
と。

 しかし、彼らはやがて、現代よりもはるかに厳しい環境の中、その使命を大胆に果たしていったのです。何故でしょうか?
 そうです、彼らは無力ながらも、問題を抱えながら、それでも主の使命をまずは受けとめました。そして、自分たちの弱さと不一致を認めます。その上で、主の使命を果たさんがため、約束の聖霊の注ぎを求めたのです。

 「彼らは自分たちのために祝福を求めたのではない。彼らは魂の救いという重荷を負っていた。弟子たちは、福音が世に宣べ伝えられなければならないことを悟って、キリストが約束された力を求めたのである」(『患難から栄光へ』上31頁)

 弟子たちは、使命を果たすために約束された聖霊降下を求めました。罪の告白と真摯な悔い改めをもって主の前にひざまずいたのです。
 彼らは天の祝福を求めることを最優先にしました。そのことのために時間を割いたのです。彼らの中にあった争いは、やがてキリストの愛によって溶かされてゆきました。彼らのうちに願いが起こされてゆきました。失われようとする魂を一人でも多く救い出したいという願いです。滅び行こうとする魂への重荷です。そのことが第一のこととなりました。死をも恐れず。これ以上に大切なものはありませんでした。
 弟子たちを通して、多くの人々が回心し、キリストの愛が世界を救うのです。
 ただ、忘れてはならないことがあります。それは、あのペンテコステの聖霊の注ぎ、前の雨とよばれる経験でさえ、実は来るべきことの前奏曲にすぎなかった、ということです。神様は終わりの日に、さらに豊かな聖霊の雨、後の雨を注ぐと約束してくださいました。預言の霊のお言葉です。

 「地上に神の最後のさばきが下るに先だって、主の民の間に、使徒時代以来かつて見られなかったような初代の敬虔のリバイバルが起きる。神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる。その時、多くの者が、神と神の言葉の代わりにこの世を愛してきた諸教会から離れる。牧師も信徒も、多くの者が、主の再臨に民を備えさせるために神が今宣布させておられるこれらの大真理を、喜んで受け入れる」(『各時代の大争闘』下190頁)

 私たちも、この約束を信じ、後の雨を求めることを優先事項としなければなりません。
 もし私たちが、これまでにこのお約束を優先事項と祈り求めていなかったとしたらならば、失われた魂を救うというその働きを私たちの最優先事項として扱ってこなかったことしたならば、私たちは謙遜な思いをもって反省し、悔い改めなければなりません。私たちは、後の雨を求めることについて時間を割きたいのです。失われようとしている魂への重荷と愛を聖霊の注ぎのうちに得てゆきたいのです。

 2010年10月の世界総会年次理事会で承認された「777の祈り」プロジェクト。
 「セブンスデー(7)・アドベンチストである私たちは、週に7回、午前7時か午後7時にリバイバルと改革を求めて共に祈りあう」
 「777の祈り」プロジェクトに参加し、後の雨をいただいて、私たちはイエス様と志と共にしたいのです。
 その時の幻をエレン・ホワイトは次のように預言しておられます。

 「神のしもべは、きよい献身の喜びに顔を輝かせ、天からの使命を伝えるために、ここかしこと奔走する。全世界の幾千の声によって、警告が発せられる。奇跡が行われ、病人はいやされ、しるしと不思議が信じる者に伴う」(『各時代の大争闘』下382-383)

 イエス様とイエス様のお言葉、預言の霊に生かされながら、イエス様から使命を大胆に担ってゆきたいと存じます。私たちが、教会が、その使命を、イエス様の志を共にするとき、聖霊は注がれ、主が共におられ、私たちは大きな力を受けるのです。

 志を共に、主と共に、歩ませていただきましょう。