神さまのプロジェクト

首里教会 伊佐真充

 初めて『大争闘プロジェクト』の話を聞いたときの私の正直な感想は、「日本人向けではないのでは」というものでした。しかし、島田総理の熱意や李NSD総理の証を聞くうちに『各時代の大争闘』のダイジェスト版を配るというこのプロジェクトがとても魅力的なものに思えてきました。
 そして3月半ば、沖縄教区理事会で1冊、その後の教団理事会でもう1冊、計2冊の『大いなる希望』を少しだけ早めに手に入れました。横浜での理事会の後、本業のサプリメントの仕事で川崎近郊まで足を延ばし、途中の電車で数ページを読み、上着のポケットにしまったまま翌日のセミナーの打ち合わせで主催のご婦人二人と夕食を共にしました。
 注文した食事が出てくるのを待つ間にふと上着ポケットの冊子に手が触れ、鞄にもう1冊入っているのを思い出してお二人に1冊ずつ『大いなる希望』をお渡ししました。
 しばらくページをめくって目を通しておられましたが、お一人のご婦人がしきりに第1章の「なぜ苦しみがあるのか」という章題と表題の『大いなる希望』を繰り返しつぶやき始めました。私ともう一人のご婦人が理由を尋ねると「実は今日、とても大きな苦しみを抱えてここに来た」とおっしゃいました。その午前中に息子さんの担任と再来週の新学期からの進路のことで話し合いをして、とても悩んでおられるということでした。
 その時、もう一人のご婦人が「伊佐さんの教会は、病院の他にも学校がありませんでしたか?」と質問されたのをきっかけに、話は広島三育高校と世界各地にある大学の話になりました。「息子にぴったりの高校」ということになり、直ぐにでも学校見学に行くという勢いでした。翌日サプリメントのセミナーの後も三育学院の話題は続き、先生方に連絡を取って手続きの進め方をお教えしました。

 息子さんは、5月1日付けで広島三育高校の生徒になりました。

 大争闘のダイジェスト版である『大いなる希望』は、内容的にもすばらしい祝福で満ちていますが、このご婦人と息子さんの様にたった数行の活字が人生を大きく変えることがあります。私たちが祈りのうちにこの本を配る時、神様の大いなる御業を見ることができるのです。
「だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(ローマ11章33節、『大いなる希望』62頁)